【米国:オピニオン】アメリカは外交政策の基本に立ち戻るべきだ

新自由主義を標榜するアメリカのシンクタンク、ケイトー研究所の、防衛・外交政策担当シニア・フェローであるテッド・ギャレン・カーペンター氏による論文です。

同研究所は、政策的に共和党に近いとされるシンクタンクですが、ここで述べられている内容は、トランプ大統領が就任以前から主張している「アメリカ第一主義」の考え方にかなり親和性があると思われます。

つまり、世界中の自由主義諸国の平和を守るために、何故アメリカだけが他国の何倍もの費用と人員を費やす必要があるのか?という、極めてシンプルな考え方です。

もちろん、歴史的な経緯や核戦力バランスの問題もあり、一朝一夕に変えられる話ではありませんが、ここで述べられている「各地域の安全保障にはそれぞれの地域の大国が責任を持つべきである」という正論をアメリカが改めて持ち出してきた場合に、日本は備えておくべきではないでしょうか。

*こちらは、ナショナル・インタレスト誌からの記事です。

Post 2018/02/28  21:48

【The National Interest  by Ted Galen Carpenter  2018/028/25】

元国務長官マデレーン・オルブライトの、アメリカが世界にとって「必要不可欠な国」だという主張は、アメリカの外交政策上、甚だ有害な考えだ。たとえその主張が中身のない国粋的なナルシズムによる表現だったとしても、十分に酷いものだと言える。だが、そのような傲慢な考え方は、第二次世界大戦後、特に冷戦後におけるアメリカ政府の外交政策上の指針だった。アメリカが安全保障の義務感に駆られるにつれ、その考え方は世界中で、明白に、もしくは暗黙の裡に、行き過ぎた戦略につながってきた。

のみならず、アメリカの行き過ぎた戦略による問題は、解決するどころか悪化している。冷戦期に、アメリカは西欧と東アジアに軍隊を配備し、両地域での優位的な政策を遂行していた。アメリカの主導者はまた、中東においても、それよりは目立たないが、活動的な役割を演じていた。そしてもちろんアメリカは、西半球に侵攻しようとするソ連の意図を、幾度となく阻んできた。アフリカにおいても、比較的控えめながらも、地政学的な冒険があった。とはいえ、アメリカが請け負おうとしていた危険かつ注目を引く任務には、ある種の制限があった。

アメリカの安全保障に対する義務と主導権の範囲と強度は、冷戦後、著しく増した。冷戦終了後の最初の10年で、アメリカはNATOを西欧と北米に限定して防衛する同盟から、さらに拡大した攻撃的な同盟へと変革させようとした。アメリカは東欧の旧ソ連支配下にあった国々に働きかけ、同盟をロシアの西の国境にまで拡大させた。その拡大のせいで、アメリカは現在27のNATO加盟国を防衛する義務を負っている。そのほとんどの国がアメリカにとっては最低限の戦略的価値しかないというのに、だ。アメリカに刺激されて、同盟は「地域外の」任務に乗り出し、バルカン半島での二つの内戦(ボスニアとコソボ)に干渉し、アフガニスタンにも軍隊を派遣した。

アメリカはまた、中東での軍事的プレゼンスと地域の安全保障の義務を大いに拡大した。実質的には、クウェートからイラク軍を追い出したアメリカ主導のペルシャ湾岸戦争が、より活動的な役割の端緒だった。それ以前には、アメリカは中東近辺の海域に海軍を駐留させ、1958年と1982年のレバノンなど、時おり短期的な介入はしてきたものの、地域の騒乱を継続的な形で細部にわたって管理しようとはしなかった。それが湾岸戦争を境に変わり、イラクへの侵攻と占領にまでエスカレートした。

いまや、アメリカの優位を遂行する範囲に該当しない地域は無いように見える。最速の伸びを見せている部隊は、サハラ以南のアフリカで急激に増加している防衛任務に責任を持つAFRICOM(アメリカアフリカ軍)だ。アメリカはアフリカ大陸の12以上の国に少なくとも6千名の隊員を駐留させ、様々な任務に当たらせている。

安全保障上の責任に関するこれほどの長いリストには、莫大な金額が必要になる。トランプ大統領が提案している2019年度の軍事予算案は、7160億ドルというという巨額なものだ。その金額は、世界第二位の軍事支出額を持つ中国の4倍ほどにもなり、それに続く8か国の合計額にほぼ等しい。さらにやっかいなのは、このような広範囲にわたるアメリカ政府の安全保障に関する冒険は、アメリカの軍人、さらにアメリカ本土をも、混乱した状況に置くリスクを孕んでいるということだ。

アメリカが世界のすべての地域において安全保障問題の責任を負った必要不可欠な国であるという認識を、考え直す必要がある。必要不可欠だという考えを命題にした政策による影響は、それがヨーロッパと東アジアに限られていた時期、もしくはさらに中東に限定されていた時ですら、相当にひどいものだった。アメリカの顕著な安全保障上の役割は、国際的な仕組みが完全に崩壊していた第二次世界大戦直後にはそれなりの意味はあったし、ソ連の拡大志向に対抗できる力を持っていた国は、唯一アメリカだけだった。

しかし、そのような世界は遠い昔の話だ。安全保障上の責任を他の国、特にヨーロッパと東アジアの復興し繁栄してきた国々や、同地域における新興国に押し付けるどころか、アメリカの政策は真逆の方向に進み、自らさらなる責務を引き受けてきた。現在の国家間の取り決めは、正常で健全な国際的仕組みがそうあるべきというあり方の、まるで馬鹿げた風刺画のようだ。

このような状況は変わらなければならないし、まさに今変えないといけない。コラムニストのパット・ブキャナンが2017年4月の論説の中で絶妙な問いを発している。「なぜ、金正恩が我々の問題になるのか?」。たしかに普通は、北朝鮮の近隣国、たとえば日本、韓国、中国、ロシアこそが、平壌政府の破壊的なふるまいに真っ先に対応する責任を持っていると考えるだろう。それなのに、何千マイルも離れたアメリカが、増大する本土攻撃のリスクを負いながら、北朝鮮問題を解決することを期待されているのだ。

ヨーロッパも似たような状況だ。もしもヨーロッパ諸国が本当にロシアの領土拡張主義を脅威と感じているのならば、現在の貧弱なレベルの防衛費を著しく増額することを含め、彼ら自身がその脅威に立ち向かうべきだ。だがそのかわりに彼らは、安全保障上の状況が悪化した際にも、アメリカからの援護にただ乗りし続けている。今やすでに、ヨーロッパの並み居る大国が自らの大陸の安全保障を担う責務を負っているべき時だ。

それどころか、それら大国は中東の混乱を処理する政策を立案・実行する一義的な責任を負うべきだろう。彼らはアメリカよりもその騒乱の地域に地理的に近く、EU諸国になだれ込んでいる中東からの難民問題のみならず、その地域の再開発においてアメリカよりもさらに影響を受けるからだ。

アメリカの安全保障上の責任とそれに伴うリスクを減らすための本質的な政策変更を行うためには、アメリカの主導者たちと国民は、より自制した考え方と国の自己イメージを採用する必要がある。オルブライトは、アメリカが必要不可欠な国だと主張したのみならず、こうも詠じた。「私たちは堂々と振る舞い、未来を見据えます」。そのような傲慢な態度は国家的ナルシズムをさらに強化したものだ。それは、日本、インド、イギリス、フランス、ドイツといった、立派で能力のある民主的な大国に対して十分攻撃的ですらある。第二次世界大戦によってもたらされた物理的、地政学的な残骸は遠い昔に消え去っている。アメリカだけが侵略を防ぎ、専制君主的な政権の絶え間ない拡張を阻止する唯一の国だという考え方も、消し去るべきだ。我々は今、多極化した21世紀の世界の現実に即した新しい外交政策を必要としている。

筆者について:テッド・ガレン・カーペンター(Ted Galen Carpenter)
Cato Instituteの防衛外交政策研究の上級研究員であり、The National Interestの編集者。10冊の本を執筆。最新の著作本は、The Fire Next Door: Mexico’s Drug Violence and the Danger to America

(海外ニュース翻訳情報局 加茂史康)

この記事が気に入ったらシェアをお願いします。