【米国: 必読分析】内側から見た1960年代以降の保守運動 【 ※日本人に読んで欲しい】

昨年9月にアメリカで刊行された、アーノルド・L・スタインバーグ著の『ウィップラッシュ(むち打ち):JFKからドナルド・トランプまで(Whiplash! : From JFK to Donald Trump)』という本の書評です。640ページにも及ぶハードカバー本は残念ながらまだ邦訳されていませんが、この評を読む限りでは、過去50年にわたるアメリカの保守派の政治活動について細かな分析がされている、大変興味深い本のようです。特に最後の、かつては左翼に支持されていたカウンター・カルチャー(反体制文化)が、今ではより広範囲な文化全体に広がっているという分析は、現在の日本にも当てはまる話だと思います。こちらの記事は、ヘリテージ財団のサイトから取り上げました。

Post 2018/02/17  13:07

The Heritage foundation  by Robert E. Moffit, Ph.D.  2018/01/28】 

アーノルド・スタインバーグは政治の世界でアイデアを戦わせている。彼は選挙運動のコンサルタントを務めており、著作『ウィップラッシュ(むち打ち):JFKからドナルド・トランプまで(Whiplash! : From JFK to Donald Trump、未訳)』は彼の専門家としての人生を見事に記録している。

それは分厚い魅力的な本で、ハリウッド俳優や企業家から主要な政治家までのABC順の長いリストが納められた大きな索引が付いている。人種と宗教、進歩主義と行政国家、そして自由主義者と保守主義者間の果てしない緊張についての力強い文章が、いたるところにちりばめられている。

50年以上にわたるアメリカ政治史において、他の多くの若者たちと同様に、いかにジョン・F・ケネディの当選に鼓舞され、アリゾナ州のバリー・M・ゴールドウォーターの敗北に打ちのめされ、ロナルド・レーガンの台頭に再び勇気づけられ、そしてドナルド・トランプのありえない勝利に唖然としたと、スタインバーグは物語る。

同じように広範囲をカバーする一般的な政治史が非常に高い視点からの概観なのに対し、『ウィップラッシュ』は、巨大なメディア市場における候補者たちの選挙運動を行ってきた真剣な当事者の目からの「土台から積み上げた」観点を描いている。

カリフォルニア生まれのスタインバーグは、急進的イデオロギーの信望者やハリウッドの大物、そして有力な政治家たちが常にぶつかり合う混雑した交差点を通りぬけながら、政治の世界に足を踏み入れた。勝利のための戦略をまとめ、資金を整理し、主要な選挙運動に勝つための人材を見つけ出すには、常に頭脳が、時には勇気が、そしてほんの少しの運が必要だ。有効な投票率が極めて重要となるので、そのためには正確な人口サンプルが不可欠だ。

民主党の世論調査員が「哀れな」労働者階級を少なく見積もってしまう欠点に対し、共和党側は多くの場合「白人すぎ、年を取り過ぎ、結婚しすぎな」サンプルに偏る傾向があるというのが、スタインバーグの見立てだ。

スタインバーグが最大の本格的な挑戦に直面し、すばらしい逆転劇を生み出す手助けをしたのは、カリフォルニアでなくニューヨークでのことだった。それは1970年の、ジェームズ・L・バックリー共和党候補がニューヨーク議員となった選挙だ。

ニューヨークは当時も今も、アメリカの人種的、民族的、宗教的多様性の中心地だ。率直すぎる派閥政治はうまくいかない。選挙での成功には小売店のセールスマン並みの技術が必要とされる。

“バックリーの選挙中と在職期間に私は、その後の私の選挙運動を楽にしてくれることになる微妙な民族性について学びました。ニューヨーク市には、単にイタリア人がいるだけでなく、北イタリア人と南イタリア人がいます。カトリックとユダヤ教徒と黒人に対してそれぞれの警察組織があり、さまざまな人種と民族がそれぞれ別のパレードを行います――アイリッシュは聖パトリックの祝日を、ポーランド人はプラスキの祝日を、そしてドイツ人はスチューベンの祝日を祝います。ユダヤ社会には革新派、保守派、ユダヤ教正統派の指導者がいます。ジム(バックリー)には、リベラルなカトリックよりもユダヤ教正統派により共通するところがありました。”

この職業に従事していた間、スタインバーグはカリフォルニア下院議員ロバート・K・ドーナンを担当した(筆者は彼の上級立法アシスタントだった)。ドーナンは素晴らしい演説者で、革新的な修正案の著者でもあり、また、より数で勝る共和党議員の中でも、恐れを知らない戦士だった。

スタインバーグはまた、カリフォルニア州ロサンゼルスの共和党出身市長となるリチャード・リオーダンの手助けもした。しかし、スタインバーグが担当した最も興味深い依頼人は、カリフォルニアのカーメルという小さな市の市長選挙に立候補したクリント・イーストウッドだ。

イーストウッドの国際的な俳優としての評判は地元民の関心を全く引かなかった。初期の投票率予想の20ポイント差を、イーストウッドは詳細にかける情熱をもってひっくり返した。

自己訓練の鑑として、彼はスタインバーグのアドバイスを忠実に守った。「私は一杯のコーヒーを見ました。彼は評価とアイデアについて尋ねました。私は、頂点を極めた俳優と働くということがどういうものなのかを学びました。彼は私の忠告をすべて正確に吸収し、それをもとに次回の発表と質疑応答を切れ目なく組み立てたのです」

この本を通じてスタインバーグは、実践的な政治というものは、究極的にはアイデアの勝利の場だと強調する。「UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に入学してからというもの」彼は言った「私の心の中には決して治まることのない緊張感がありました。哲学とアイデアを片手に、そして政治と政治運動をもう一つの手に。政治は保持動作で、まるでダムに空いた穴を指でふさぐようなものでした。私たちは人々の考え方を変える必要があったのです」

スタインバーグの政治的な変遷はおなじみのパターンをたどる。多くの若いアメリカ人はケネディの熱狂的な1960年代の選挙運動に魅せられて政治に興味を持ち始めた。1960年代から70年代にかけて確実となった危機にうんざりした(若者を含む)何百万ものアメリカ人は、レーガンの新たな希望のメッセージに元気づけられた。

一方、ウィリアム・F・バックリー・ジュニアの上品で機知に富んだテレビでの振る舞いはクールだと思われていた。バックリーの組織「ヤング・アメリカンズ・フォー・フリーダム」にはスタインバーグを含む何万人もの大学生が名を連ね、1980年にそのグループは、レーガン革命のための地上部隊「ユース・フォー・レーガン」へと姿を変えた。左翼学生はデモに励み、保守的な学生たちは選挙区内で働いた。

ユダヤ系アメリカ人との経験についてのスタインバーグの見方も、この本の内容を豊かにしている。特に大学キャンパスでの左翼の反ユダヤ運動の勃興は、今ではリベラルなユダヤ人社会内での政治的緊張を悪化させている。左翼、右翼どちらから出てきたとしても、それはありふれた「ユダヤ人嫌い」からだとスタインバーグは言う。

ユダヤ人は歴史的に民主党に投票してきたが、ミルトン・フリードマン、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、イスラエル・カーズナー、レオ・ストラウス、ウィル・ハーバーグといったユダヤ人識者たちによるそれまでにない学術研究は、1950年代から60年代にかけての保守派知識人の復活に大いに役立った。

ユダヤ系アメリカ人はユダヤ教正統派の式典を取り入れており、政治的には保守的傾向にあると、スタインバーグは述べる。正統派はユダヤ系アメリカ人人口のわずか10パーセントなのにもかかわらず、ユダヤ系の子供たちのなんと三分の一を正統派が占めているという事実を、彼は引用している。

ポーランド系移民の子としてロサンゼルスのユダヤ人社会で育ったスタインバーグの生い立ちは、20世紀初頭にアメリカに渡ってきた両親や祖父母を持つ多くの二世、三世と共鳴する。アメリカの大都市では、アイルランド系、イタリア系、東欧系の子供たちは、仕事とより良い生活を求めてアメリカに渡ってきた何百万もの人たちの子孫だ。

レーガンが共和国を「丘の上で輝く街」として再建しようと国民に対して呼びかけたとき、彼は多くの人々の心に触れた。レーガンの描いた未来像は若い世代を鼓舞しただけでなく、彼らの両親や祖父母の犠牲、希望、夢を認めたのだ。

スタインバーグが60年代に政治の争いの世界に踏み込んだとき、左翼は「反体制文化」を代表していた。彼の見立てによると、現在では左翼は事実上「文化」そのものを保有している――芸術と学会、ハリウッドとメディア、慈善団体と大財団などなど。「一般的に正しいと左翼によって定義されている考え方がいたるところにある」。選挙区で働くことも大事だが、文化を取り戻すことが、最終的にはより重要となる。

革命的な現代においては、保守派は、左翼によってなされた一般的な定義に反抗する、自由の代理人であり、新しい「反体制文化」の擁護者だ。それがあるべき姿だ。

<写真キャプション>アリゾナ州選出共和党議員バリー・ゴールドウォーターは20<世紀後半に開花した政治運動の先鋒を務めた。

執筆者 :
ロバート・E・モフィット Robert E. Moffit, Ph.D. 
ヘリテージ財団の保険保健政策研究センターの上級研究員

(海外ニュース翻訳情報局 加茂 史康)

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