【ロシア対ナチス】破壊工作からポーランドを救ったソビエトのスパイは、101歳の誕生日を迎える

ロシアの英雄であるアレクセイ・ボトゥアンは、101歳の誕生日を迎えました。同氏は、ソ連のスパイ作家ユリアン・セミノフの短編小説 「ヴィーフリ少佐」 の主人公のモデルになったそうです。その彼に、プーチン大統領が、英雄称号を授与しました。同氏に限らず、欧米の映画や小説をみると、インテリジェンスの世界の人達が、自国を守るという点で英雄として称えられるというのをみて、江戸時代はともかく、果たして近代~現代日本でこういうことがあるのだろうかとふと思いました。この記事はタス通信から紹介します。

Post 2018/02/12  6:30

Tas 2018/02/10】

1945年春、アレクセイ・ボトゥアン(Alexei Botian)の偵察隊は、ナチスを撤退させポーランドのクラクフ市の破壊から救った。同氏は、土曜日に101歳の誕生日を迎える。

ロシアのヒーローの代名詞である、ボトゥアン氏は、ソビエトのスパイ小説作家ユリアン・セミヨーノフの短編小説「ヴィーフリ少佐」の主人公のモデルとなった。

 

「多くのロシア人にとって、あなたは、洗練された都市であったクラクフを、ナチスによる破壊から救ったことを含め、かなりの数の戦闘を勝利に導いた伝説のスパイ将校である」とロシア対外情報庁のスポークスマンは、セルゲイ・ナルイシキンセルゲイ・ナリシキン長官の言葉を引用した。

「それは、さらに一つのお誕生日というわけでないですが、むしろ、あなたの人生の2世紀の始まりであり、2月10日の今日お祝いを申し上げます」と彼は祝辞を述べました。

ナリシキン氏は、「あなたが現在、エネルギーに溢れ、愛情深い家族や同僚に囲まれていらっしゃることが、私は嬉しいです」 「そして、あなたが、チェスでファーストクラスのジュニアスポーツマンのタイトルを続持ち続けているのを知っています。」と述べた。

アレクセイ・ニコライェーヴィッヒ・ボトゥアン(Alexei Nikolayevich Botian)は、1917年2月10日、ロシア帝国のWilna Governorateのオシュミヤニ郡Chertovichi村で生まれた。現在は、ベラルーシのミンスク地方ヴァウォジン地区にある。

彼の両親は農夫だった。

1921年3月には、アシュマニ地域が新たに独立し、ポーランドの領土となった。
学校を終えると、アレクセイ・ボトゥアンはポーランド軍に徴兵され、そこで戦闘機のクルー長の階級に昇給した。

彼は1939年9月に侵攻したワルシャワとの戦闘作戦に参加し、ワルシャワ近郊の3機のユンカース航空機を撃ち落とした。
ボトゥアンは、1939年10月にソ連の市民権を得て、短い間、学校で教えていた。

彼は1941年11月7日には、モスクワの赤い広場にある伝説的な軍事パレードから最前線の右側に進んだ。

1942年、彼は専門的な訓練を受け、ソ連が占領した地域の鉄道でナチス部隊の梯状配置を爆破し、 ソビエト前線において、ソビエトの同志[ゲリラ部隊]が行った、ドイツ国防軍の不可欠な荷物の配達を混乱さる「鉄道戦争」と呼ばれるものに従事した。
これらの敵の後方の操作には、通信回線の破壊も含まれていた。

ソ連軍がポーランドを解放していた1945年の冬、彼の戦時の軍隊の頂点に達した。
ボトゥアンが率いる精鋭の兵士たちは、ノウィンチ(ポーランド、マウォポルスカ県)にある古い城で爆発物を見つけ出し取り除いた。これは1945年1月18日に起こった。
この爆発物は、クラクフの文化財、ロズノダム、川の向こうの橋を爆破するためのものだった。

ドイツ国防軍の計画を混乱させたソビエト連邦諜報部隊のスパイ活動は、「アレクセイ・ボトゥアン : 我々は、どのようにポーランドを解放したか」というドキュメンタリーで紹介された。

プーチン大統領は2007年5月9日、彼にロシアの英雄称号を授与した。

(海外ニュース翻訳情報局  MK)

 

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