【カナダ:意見】ヒジャブが攻撃されたと嘘をついた少女に謝罪すべきだ

不思議なタイトルと思われる方もいるかもしれませんが、一読すると筆者の意図が分かる記事です。カナダで、イスラム教徒の少女が被っていたヒジャブを切り付けられたと訴えました。このニュースは瞬く間にCNNが取り上げるなどして世界に広がりましたが、すぐに狂言と判明したそうです。筆者は、なぜ子どもの話にここまで大騒ぎしたのだろう、という素朴な疑問を投げかけています。「人種や宗教が絡むと、我々は大局観を見失うように思われる」という指摘は、我々の多くにとって一考の価値があるのかもしれません。本記事は、ハフィントンポストからの紹介です。

Post 2018/01/19  9:08

Huffpost  by Danielle S. McLaughlin 2018/01/16 】

このトロントの一人の少女は、「忍耐と分別」多くを学ぶ必要がある。

この11歳の子どもは間違いを犯した。そして、その間違いはどんどん大きくなり、国をまたぐ話にまでなった。彼女は、自分の家族や学校、そして警察に、知らない人が彼女に付きまとってはさみで攻撃し、ヒジャブを切り付けたと伝えたのである。2回も。その子の兄は、その様子をすべて目撃したと訴えた。少女は攻撃した人物やその出来事についても詳しく説明した。その人物は笑みを浮かべたアジア人の男で、黒い服を着ており、はさみの持ち手は青であったという。

警察がその話をメディアに伝えた後、記者会見がその子どもの学校で開催され、彼女は多くの放送局からインタビューを受けた。政府の3機関で政治家らが、衝撃と強い不快感を表した。CNNまでもがこの話を取り上げた。多くの人は、「(こんな事が起きるなんて)もう、これはカナダじゃない」と語った。

それから警察がさらに捜査したところ、その話は狂言であったことが判明した。そのようなことは起こっていなかったのである。

実際には、何も起こらなかったわけではない。少女は、我々にはうかがい知ることのできない理由で、すぐに嘘だと分かる作り話をする必要に駆られたのである。彼女が記者たちを集めたのだろうか。そうとは考えられない。彼女が、警察にその話をメディアに公表するように頼んだのだろうか。これも違うであろう。

人権教育者として、また母親や祖母として、私は人生で多くの11歳の少女たちに出会った。彼女たちは生意気で、失礼で、意地悪で、怒りっぽく、自立していて、影響を受けやすく、いとおしく、親切で、傷つきやすく、混乱していて、怯えていて、そして、それと同時に真に配慮してもらう必要があるのだ。

我々の社会が、この歳の子どもたちに投票や契約を結ぶことを認めないのには理由がある。彼らは十分に人格形成された大人ではない。彼らは、批判的に考えることができる人間になりつつあるが、まだその域には達していない。自分で選択を行うことはできるが、大きな間違いを犯すこともある。青少年犯罪裁判法(Youth Criminal Justice Act)では、18歳未満の者は大人とは異なる取り扱いをする。カナダの法律では、子どもたちは大人と比べて非難に値しないとしており、法を犯した子どもたちが歳を経るごとに心を改め、成熟することを期待している。

少女や家族に謝罪を要求するというよりも(これが何になるというのだろうか)、弁が立つとはいえ彼女がまだ子どもであることを忘れていた我々が、彼女に謝罪しなければならないと考える。架空の攻撃で感じた恐怖を説明するときではあったが、彼女はいみじくも語った。「私は子どもです」そのとおりだ。

この子どもの話に、我々はどうしてここまで騒いだのだろうか。人種や宗教が絡むと、我々は大局観を見失うように思われる。なぜなら、この話は憎悪が動機要因となっているように思われ、子どもが宗教的な被り物をしているために攻撃されたようにも思われるからである。それで我々はある種の、国を挙げた激しい怒りを覚えたのである。自分がカナダの敏感な部分に踏み込んでいると、その子どもには分かっただろうか。我々には知る由もない。

子どもは年に何回か、怖い大人が(おそらく自分が遅刻した日に)学校についてきた、誰かが車に引きずり込もうとした、あるいは悪い男が傷つけようとしたなどと言うことを我々は承知している。時にその話が嘘でないこともあるが、大方は後にこっそりと撤回される。実際には起こっていないことが多いのである。

トロントの子どもである彼女の(嘘をついた)理由が、私にはまったく分からないということを繰り返しておくが、「通り魔」の教え方は分かっている。子どもたちに、「他人」に対する恐怖を植え付けるより簡単なことがあるだろうか。子どもたちは、自分自身の家族や友人から傷つけられる危険性が最も高いということを知っているにもかかわらず、我々は「ブギーマン」(訳注:子どもをさらう怪物のこと)で子どもたちを怖がらせ続けているのである。

だから、怯えた子どもが詰問され、彼女自身が「ブギーマン」を作り出したとしても驚かないでほしい。では、我々はどうすればよいのだろうか。ただ冷静になろうではないか。

執筆者 :
ダニエル・S・マクラフリン (Danielle S. McLaughlin)
カナダ市民自由権協会(Canadian Civil Liberties Association)と教育信託の教育責任者。1988年から2016年にかけて、オンタリオ州コミュニティ・リーダーシップ・オブ・ジャスティス・フェローシップの2010-2011年法律基金を受賞。1997年から2001年にかけて、教育と行政の職務に加えて、トロントの警察サービス委員会の人種関係に関するカナダ民族自由連合を代表を務めた。

(海外ニュース翻訳情報局 渡辺 つぐみ)

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