【ハイチ復興: 実態分析】クリントン財団がいかにハイチを「Sh*thole」に変えたのか

トランプ大統領が発した(本人は否定)という「Sh*thole」という言葉は、皮肉にもハイチの実態、はたまた世界中の「Sh*thole」な実態を知らせる結果になりました。このことは、ハイチの人達に限らず、こういう実態を知らなかった私たちにとってもいい事かもしれません。しかし、当情報局には改めて別の発見がありました。トランプ氏へ非難が発信された後、必ずトランプ氏へのプラスの発信が多く出回わり、トランプ氏にプラスに動くということです。今回の「Sh*thole」という「民主党のでっちあげ」である可能性の失言もそうです。結果的にトランプ氏への非難だけに終わらず、民主党、特にヒラリーへのブーメランになっています。ヒラリーがどれだけ腐敗していたかということもあるかもしれませんが、このマイナスからプラスに変えるというトランプ陣営のうまさが選挙戦以降も続いているのでしょう。そういった視点で見てみると、これから先、トランプ氏がどうやって困難と戦っていくのか、世界がどう動いていくのかということの材料になりそうです。この記事は、PM Nightly Newsから紹介いたします。
Post  2018/01/17  11:48

PM Nightly News by By Andrew Collins  2018/01/13 】

2015年1月に、ハイチ人らの集団がクリントン財団のニューヨーク事務所を取り囲んだ。彼らはスローガンを唱和し、ビルとヒラリー・クリントンが彼らから「何十億ドルも」盗んだと非難した。2か月後、ハイチ人らは再びニューヨーク事務所でクリントン家の二枚舌や、不正行為、また窃盗行為を非難した。また2015年5月、今度はニューヨークの(レストラン)チプリアーニの前に彼らは戻ってきた。そこは、ビル・クリントンが受賞し、自身の財団に50万ドルの小切手を集めた場所であった。「クリントン、金はどこだ?」とハイチ人の看板には書いてあった。「誰のポケットに入っている?」と反独裁委員会(the Commission Against Dictatorship)のダウド・アンドレ(Dhoud Andre)は語った。「ビルとヒラリー・クリントンに責任があるハイチでの犯罪のことを、我々は世界に伝えているんだ。」

アンドレのようなハイチ人の言葉は、少し怒っているように聞こえるかもしれないが、彼や他の抗議者が不満を抱くのには、十分な理由がある。母なる自然からの大打撃に苦しみ、そして今、彼らはまたもや打ちのめされているように見える。今回は、クリントン家によって。彼らの話は、2010年にまでさかのぼる。当時、(マグニチュード)7.0の巨大地震で島を壊滅し、20万人を超える人々が亡くなり、10万の家が破壊され、150万人が貧困に陥った。

大規模な極貧国への地震による壊滅的な影響は世界的な懸念を引き起こし、ハイチ復興を目的とした援助金が殺到した

赤十字や救世軍といった民間慈善団体とともに、世界中の国々がおよそ105億ドルの援助を提供し、うち39億ドルは米国から提供された。

 

しかし、アンドレのようなハイチ人はこの援助金が、実際にはハイチの貧しい人々にはほとんど届いていないことに気づいた。工業団地や高級ホテルを建てるといったクリントン家が推進するプロジェクトは、多額の資金がかかり、真に貧しい人たちにとっては十分な恩恵がない。(ハイチの首都)ポルトープランスは再建されるはずであったが、全く再建されなかった。雇用創出を目的としたプロジェクトは無念な失望に終わった。ハイチの失業率は依然として高いままであり、国に流れるはずであった資金で失業率が下方に向かうことはほぼなかった。飢饉や病気は、島国を継続的に荒廃させている。

ハイチ人は、当初クリントン家に好意的であった。クリントン家の「希望と変化(hope and change)」というメッセージを信じていたとも言えるだろう。いつもの誇張で、ビルはメディアに「ハイチが世界初のワイヤレス国家になったら、素晴らしいことではないだろうか。彼らならできる、よく聞いてほしい、彼らは本当にできるんだ。」と伝えた。

ハイチ人がその言葉を信じたことを責めはしない。ビルは、世界有数の語り部であるのだから。貧しいハイチ人よりもはるかに洗練された人たちを彼は騙してきた。しかし、次第にハイチ人は賢くなった。彼らの最初の期待がどうであれ、多くの者は、たくさんの援助金が目的地に全く届いていないことに気が付いた。むしろ、道中で消えてしまっていたのだ。

 

援助金はどこに行ったのだろうか。ハイチ人は、ビル・クリントンがハイチ援助の国連代表として指名されたことを見逃さなかった。地震の後に、ビル・クリントンはメディアの派手な宣伝とともにハイチ復興基金を設立した。一方、彼の妻であるヒラリーは、米国国務長官であった。彼女は、ハイチに充てられた米国からの援助を任されていた。クリントン家の2人は、世界からハイチに向けられた資金の流れをコントロールする、最も強力な権力を持っていた。

ハイチ人抗議者らは、クリントン家と、援助資金の使い道の指定に関し、興味深いパターンに気づいた。ハイチで契約を取り付けた多くの企業は、偶然にもクリントン財団に多額の寄付をしていた。ハイチでの契約は、ハイチのニーズに合わせるより、サービスを提供する会社のニーズに応えているように見えた。要するに、ハイチでの取引はクリントン家の金庫を満たした見返りのように見えたのである。

たとえば、クリントン財団はハイチに一時避難所を建設するのに、クレイトン・ホームズ(Clayton Homes)を選んだ。これは、ウォーレン・バフェット(Warren Buffett)(が筆頭株主)のバークシャー・ハサウェイ(Berkshire Hathaway)が所有する建設会社である。バフェットは、クリントン・グローバル・イニシアチブ(Clinton Global Initiative)の活動的なメンバーであり、クリントン財団に加えクリントン家にも多額の寄付をしている。この契約は、プロジェクトの基準を満たす最低額入札者が落札するという通常の国際連合での入札手続きを経て行われたはずであった。しかし、契約は一度も競争入札されていないと国連当局者は述べている。

クレイトン社は、「ハリケーン防止トレイラー」を建てると提案したが、実際に彼らが行ったことは大失敗であったことが分かった。トレイラーは、断熱材の壁から高レベルのホルムアルデヒドが発生し、構造的に安全でなかった。また、カビと臭いの問題があった。息が詰まるような内部の熱気でハイチ人は病気になり、作りが悪く使い物にならないという理由で多くの者がトレイラーを捨てた。

クリントン家はまた、1,000万ドルの連邦ローンをクリントン献金者であるクラウディオ・オソリオ(Claudio Osorio)が代表を務める、イノビーダ(InnoVida)という企業に流した。オソリオは、取締役をクリントンの側近で固めた。その中には、長年のクリントンの同志、ウェスリー・クラーク(Wesley Clark)陸軍大将、ヒラリーの2008年の財務担当長、ジョナサン・マンツ(Jonathan Mantz)、そしてクリントン家のために何百万ドルも集めた民主党の資金集め担当者、クリス・コルグ(Chris Korge)が入っている。

 

通常、ローン承認手続きは何か月、あるいは何年もかかる。しかし、このケースでは政府当局が「ビル・クリントン前大統領は、個人的にその会社と連絡を取っており事業計画を行い、ニーズの応じた支援を行っている。また、ヒラリー・クリントンも国務長官として、国務省のリソースを使えるようにしており、事業計画の準備を支援している。」と書いている。

イノビーダ社は、通常そのような申請をする際に必須である、独立監査を受けた会計報告書すら提出していなかった。しかし、この必須書類は免除された。クリントンのコネクションに基づき、イノビーダ社の申請はすぐに処理され、2週間で承認された。

しかし、イノビーダ社はローン返済を怠らせ、家を建てることはなかった。オソリオは会社資金を、自身のマイアミ・ビーチの大邸宅とマセラッティ、そしてコロラドにあるスキー用の別荘に流用したことが調査で明らかとなった。彼は、電信詐欺とマネーロンダリングで2013年に有罪となり、現在ローンに関する罪で12年の刑期中である。

クリントンの側近数名はビルとともに、出展料が200万ドルを超える2011年住宅万博(Housing Expo)に現れた。ビル・クリントンは、万博がハイチで何千もの家を建設するモデルとなるであろうと語った。実際には、家は1つも建てられていない。数十のモデルルームが建設されたが、それすら売られていないのである。それどころか、モデルルームは今や放置され、不法占拠者

らに奪われている。


決して建てられることのなかった学校

ポルトープランスの瓦礫を除去するという米国国際開発庁の契約は、ワシントンを拠点とするCHFインターナショナル(CHF International)という企業が手に入れた。その会社のCEOであり、2008年のヒラリーの選挙戦への貢献者であるデイビッド・ワイス(David Weiss)は、クリントン政権中に北米局の米国通商副代表だった。取締役会長ラウリ・フィッツ・ペガド(Lauri Fitz-Pegado)は、クリントン政権で商務次官補を含む数々の役職を務めた。クリントン家は、ハイチに学校を建てたと主張している。しかし、ニューヨークタイムズ紙は、クリントン家に関して言えば、「建てた」というのは、不正確な言葉であることをつかんだ。たとえば、ニューヨークタイムズ紙は、クリントン財団の年次報告で「『クリントン・グローバル・イニシアチブ行動へのコミットメント(Global Initiative Commitment to Action)』を通じて建てられた」として取り上げられた学校を探した。実際には、「クリントン財団による学校への唯一の直接的な寄付金 は、地球の日の祝賀会と助成金と植樹を行うための補助金だった。」

ニューヨークを拠点とするダルバーグ・グローバル開発アドバイザーズ(Dalberg Global Development Advisors)のようなコンサルティング会社も、米国国際開発庁の契約を手に入れた。この会社は、ハイチ人の移転先を見つける契約で150万ドルを受け取った。また、クリントン・グローバル・イニシアチブの活動的な参加者であり、財政的な援助者ある。後に、米国国際開発庁の監査官による調査で、ダルバーグ社の仕事はひどいものであり、険しい峡谷があり人が住むことができない山をハイチ人の再建地として挙げていたことが分かった。

外国政府や外国企業は、ハイチでの取引をクリントン財団への融資と引き換えに得ていた。クリントン財団は、ブラジルの建設会社であるOASと、米州開発銀行(IDB)を援助資金供与者として掲載しており、これらは10億ドルから50億ドルを財団に融資していた。

IDBは国務省から資金を受け取り、この資金の一部はハイチの道路建設契約のために、OASにも流用された。しかし、IDB監査役のマリエラ・アンティガ(Mariela Antiga)は「誰も必要としない」道路を建設するために、契約が「過剰な費用で」釣り上げられていると訴えた。アンティガは、IDBの資金がハイチ前大統領であり、クリントンの仲間であるルネ・プレヴァル(Rene Preval)と、彼の側近数名が所有する私有地の建設計画に使われていると主張した。アンティカは、汚職を暴露しようとしたが、直ちにIDBに荷物をまとめ、ハイチを去るよう言い渡された。

 

2011年にクリントン財団は、ハイチ市場へのアクセス獲得を模索している携帯電話サービス供給会社のデジセル(Digicel)との取引を仲立ちした。クリントン家はデジセル社に、携帯電話を供給するために何百万人もの米国納税者の金を受け取ることができるよう手配した。米国国際開発庁のフード・フォー・ピース・プログラム(Food for Peace program)は、ハイチ人に無償でデジセル社の携帯電話を支給した。このプログラムは、ヒラリー側近のチェリル・ミルズ(Cheryl Mills)を通じて国務省が運営している。

デジセル社は米国の納税者を利用して金もうけをしただけではない。ハイチ人の金も利用したのである。ハイチ人が電話を使うときは、通話であっても送金であっても、デジセル社にサービス料を払った。デジセル社の電話を使うハイチ人は、自動的にデジセル社の携帯電話プログラムにも登録された。2012年までに、デジセル社はハイチの携帯電話市場の4分の3を買収した。

デジセル社は、クリントン家の親しい友人であるデニス・オブリアン(Denis O’Brien)が所有している。オブリアンは、故郷アイルランドでの講演会を3回行い、1回につき20万ドルが支払われた。講演は、デジセル社が米国国務省と取引を行っているまさにそのときに行われている。オブリアンは惜しげもなくクリントン財団に寄付も行っており、2010年から2011年のいずれかの時点で100万ドルから500万ドルを渡している。

(H/T  National Review)
(海外ニュース翻訳情報局  序文 MK     翻訳 渡辺 つぐみ)

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