【元米軍海兵隊士官・提言】沖縄での米軍事故が古傷を開く

先日の沖縄での米軍機からの窓落下事件を受けての、元米軍海兵隊士官グラント・ニューシャム氏による分析です。幸いにも死者・怪我人の出なかった事故は、それでも問題ではありますが、このひとつの事件だけに着目するのではなく、日本政府と米軍が沖縄の基地問題について本来取るべき行動について、提言を行っています。こちらは、アジア・タイムスからの記事です。

Post 2017/12/26 15:24

ASIA TIMES By GRANT NEWSHAM 2017/12/22】

先週、日本の沖縄本島にある普天間基地から米軍海兵隊所属のCH-53ヘリコプターが離陸した直後、操縦席の窓が落下するという事故があった。窓は学校の校庭に落ちたが、幸いなことに子供たちに怪我はなかった。

このような事故は不幸なことではあるが、それが民間機であれ軍用機であれ、航空機を運転する限り、起こってしまうことはどうしても避けられない。だが沖縄においては、米軍人と市民との間の文化的衝突の温床の上に、この種の事実は見過ごされがちだ。

この最新の事故は整備ミスに起因するが、過去においては機械の故障による海兵隊ヘリの事故も起きている。近年、米軍海兵隊所属の航空部隊には機材の整備を行うための十分な予算と時間がないという報告が上がっているが、これらの事故はおそらくそれとは無関係ではないだろう。

飛行士たちが十分に熟練するために必要な飛行訓練の時間を取れていないと主張する声もある。

海兵隊は2001年以降海外で任務に就いているが、米軍全体の6千億ドル(約68兆円)という天文学的な国防予算にもかかわらず、常に財政難に直面している。だが彼らには「断る」という文化はなく、よって、与えられた任務を遂行するために飛び続け、複雑な整備が要求されるような非稼働中の機体を使用することも余儀なくされる。

想像してみてほしい。エンジンオイル、ブレーキ液、ガソリン、タイヤ圧はチェックしているものの、定期的なオーバーホールに持ち込む時間のなかったご自分の車に乗り続けることを。確かに車は走るだろうが、あちこちに支障が出てきてしまうのは時間の問題だ。そのうち、より多くの問題が、より頻繁に起こるようになる。つまり、危険な状態になるということだ。

もし海兵隊の航空機がこのような状態にあった場合、誰かが責任を取らなければならない。大将ではなく大尉が負うべき責任があるというのは、おそらく自明の理だ。

だが、このひとつの事故よりもその背景を見てみよう。いったい普天間基地は何故いまだに稼働中なのか?日本政府は20年も前に、同じ島のより人口密度の低い地域に代わりの飛行場を建設すると約束したはずだ。

何年にもわたり、日本政府はこの口約束を繰り返している。「貴方たちはあのとき嘘を吐いていたのか?それとも今、嘘を吐いているのか?」と米軍関係者が尋ねたいのを我慢させられているのではないかとまで思える。

また、アメリカ側の沖縄の取り扱いにも一貫性がない。なによりもまず、アメリカは日本に約束を守ることを要求できたはずだ。なにしろ、日本が約束を守るというたった一点の見返りに、アメリカ軍人は日本の為に死ぬ覚悟までしているというのだから。

そしてまたアメリカは、より速く建設できた、より優れた別のオプションがあったにもかかわらず、たった一つの長いヘリポートで手を打った。疑いようもなく、米軍関係者にとっては、ときに北朝鮮人のように融通の利かない日本の交渉人と話をするのは、簡単なことではなかったようだ。

さらに、どうして空軍基地のそんなすぐ傍に学校があるのかを不思議に思う人もいるだろう。過去の写真を見ると、普天間基地の周囲には元々何もなかった。確かに、日本政府は普天間周辺に民間が建物を建設するのを禁ずるべきだったのではないか?

結局のところ、世界のどこであれ、もし空軍基地の近くに家や学校が建てられたなら、間違いなく問題は起こる。それは政府の失策だ。もちろん、空軍基地のすぐ近くに家や学校を建てた人たちも責められるべきだが。

法律家はこれを「寄与過失」と呼ぶ。易しい言葉で言うと、怪我をした側の人もいくぶんかの責任を負うという意味だ。だがしかし、「沖縄県民は犠牲者」という物語のもとでは、これに触れられることはほとんどない。

窓落下の事故の後、海兵隊大佐がその学校を訪問し、謝罪した。何もしないよりはましだが、「事故と事故との間に起こっている事」がより重要だ。海兵隊が沖縄支援の緩和策を築いていないため、すべてのこういった事故や事件がまるで国難のように扱われてしまっている。

予想通り、日本政府は海兵隊に学校やその他の公共施設上空の飛行を延期するよう要請してきた。小野寺五典防衛大臣は、アメリカ側から事故の再発防止に向けてどのような対策を打つかという十分な説明がなかったと抗議した。

これが、沖縄で航空事故やその他の事故が起こったときの日本政府の典型的な反応だ。まるでアメリカ人が不注意で、他人の安全を気に掛けていないと言わんばかりだ。だがそれは間違っている。日本の自衛隊が完璧に安全な飛行記録を持っているわけではないということは皮肉なものだ。

先日、百里基地の滑走路で航空自衛隊所属のF4ファントムが出火し、大破した。乗組員は幸運にも脱出できた。8月には、海上自衛隊のヘリコプターが岩国空軍基地に墜落した。青森近辺での別のヘリコプター事故では、三名の死者を出した。

どれだけ乗務員が注意を払っていたとしても、飛行機が空を飛ぶ限りは、事故は起こってしまう。それらはすべて不幸なことであるし、命が奪われることは悲劇だ。しかし、官憲や政治家のスタンドプレーは役に立たないばかりか、ときには無礼でもある。

そのようなスタンドプレーに精を出すよりも、アメリカの、そして日本の軍用機が、日本を本当の敵から守るための本質的に危険な(しかし必要な)任務に就いているということを、関係者は思い起こすべきだ。

執筆者 : グラント・ニューシャム
日本戦略研究フォーラムの上席研究員であり、元米国海兵隊士官。米外交官、ビジネスエグゼクティブ、米国海兵隊員として日本とアジアで20年以上の経験をもつ。

(海外ニュース翻訳情報局 浅岡 寧)

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