【オリンピック・告白】なぜアスリートは共産主義体制から逃げるのか?

もうすぐ平昌五輪が開催されます。五輪の精神を示したとされる「参加することに意義がある」という、クーベルタンIOC会長(当時)の言葉はあまりにも有名です。しかし、参加するだけでは許されない国、また、参加した選手の多くがそのまま戻ってこない国もあるようです。本記事は、共産主義に警鐘を促す米国の意見記事サイト、Dissidentから2016年に出されたものですが、五輪直前の今、あらためて紹介させていただきます。

Post 2017/12/13 17:43

Dissident BY NAPHTALI RIVKIN 2016/08/12】

・今日の社会主義社会では、アスリートは残酷な条件に直面する。

・「4年ごとに、五輪参加選手とアスリートは抑圧的な社会主義国から亡命するが、社会主義国へと亡命するものは1人もいない。」

マールタ・カーロイ(上記写真中央)は、連続で金メダルを勝ち取った米国・体操団体の、ナショナルチームのコーディネーターであり、共産主義の犠牲者でもある。彼女と、夫のベーラは、体操の米国遠征の折にチャウシェスク体制であったルーマニアから1981年に亡命した。ベーラ・カーロイは、五輪体操競技で世界史上初の「10点満点」を獲得したルーマニアの体操選手、ナディア・コマネチのコーチであった。ナディアも1989年に西側に亡命したが、それはルーマニア革命のわずか数週間前のことであった。マールタ、ベーラ、そしてナディアは、誰もがよく知る話の3つの例に過ぎない。その話とはすなわち、4年ごとに、五輪参加選手とアスリートは抑圧的な社会主義国から亡命するが、社会主義国へと亡命するものは1人もいないということだ。

1956年のメルボルン五輪で、ソビエトがハンガリーに侵攻したニュースが五輪選手村に流れると、「約半数のハンガリー五輪代表は、試合後西側に亡命した」[1]。金メダルを獲得したハンガリーの水球選手、アービン・ザドル選手は、ブダペストのプールで(試合のために)血まみれになった顔が、ハンガリーとソビエト連邦の衝突の象徴とされたが、彼は次のように表現した。

英雄として帰国し、月3,000フォリントを稼ぎ、次からの五輪に3回出るチャンスがあっても、全部あきらめて、金になる技能が何もなく、その国の言葉を話さないただの人になった・・・。この決断をするのは容易ではなかったが、(共産主義の)制度とハンガリーの共産主義者が嫌いだった。自分が帰国することは考えられなかった。とりわけ、ロシアを本気で怒らせたことを考えればなおさらだ。だが、これまでの55年間、どんなことが起こっても決断を後悔したことは一瞬もない[2]。

今日の社会主義の社会では、アスリートは同様に残酷な条件に直面する。亡命した北朝鮮のアスリートは、与えられる選択肢をこう説明した。勝者には冷蔵庫を、敗者には強制労働収容所を[3]。

ジョン・F・ケネディは、ベルリンの壁を目前に、自由な世界では「自国民を中に閉じ込める壁を作ったことは1度もない」と語ったことで知られる。社会主義者が、五輪参加選手を単なる壁でとどめておけると思うのならば愚かなことだ。

(海外ニュース翻訳情報局 渡辺 つぐみ)

この記事が気に入ったらシェアをお願いします。