【 PragerU・必見動画】ファシズムは右翼?それとも左翼?(邦訳)

保守的な政治家を左翼が攻撃する際によく使われる言葉が「ファシスト」「独裁者」だというのは、日本もアメリカも変わらないようです。では、ファシストというのは右翼の代名詞なのでしょうか。インフォウォーズに取り上げられたこちらのビデオで、保守派の政治評論家ディネシュ・デスーザ氏がファシズムの起源について解説しています。5分半ほどのビデオの台詞を邦訳しました。 ぜひご覧ください。

Post 2017/12/12 21:43

ディネシュ・デスーザがファシズムの根源を明らかにする

作家兼ドキュメンタリー映像プロデューサー、ディネシュ・デスーザがプレイガー大学と組んで、ファシズムのルーツとその左翼との結びつきを暴き、そして何故70年代以降のすべての共和党大統領がファシストと呼ばれ続けてきたのかを明らかにする。

<以下、ビデオのスクリプト>

「彼はファシストだ!」

というのが、長年にわたる右翼に対する左翼のお決まりの誹謗中傷だ。1970年代以降のすべての共和党出身大統領、いや、実質的にはすべての共和党員が、ファシストと呼ばれ続けてきた。そして今、その声はさらに強まっている。

このようなレッテル貼りは、ファシズムというものが政治的右翼によるものだという考えから来ている。左翼はそう言っているし、自称白人至上主義者やネオナチの連中はそのレッテルを喜んで受け入れている。

ただ、果たして本当にそうなのか?

その問いに答えるには、ファシズムというものが本当は何を意味しているのかを考えなければならない。その根本的なイデオロギーは? そもそも、いったいそれはどこから来たのか?

実は、それらは簡単に答えられる問題ではない。我々は資本主義の賢人を知っている。アダム・スミスだ。マルクス主義の賢人も知っている。カール・マルクス。では、ファシズム(独裁的国家社会主義)の賢人は?

その通り。答えられない。だが、気を悪くすることはない。ほとんど誰もその答えを知らないからだ。それは、そのような人物が存在しないからではなく、歴史家が(ほとんどの歴史家は政治的左翼だ)、ファシズム本来の信条に直面することを恐れ、彼を歴史から抹殺しなければならなかったからだ。さあ、紹介させてもらおう。彼の名は、ジョヴァンニ・ジェンティーレ。

1875年生まれの彼は、20世紀前半における世界で最も影響力のある哲学者のひとりだった。ジェンティーレは、この世には二つの真逆の資本主義が存在すると信じていた。ひとつは、アメリカ合衆国に採用されているようなリベラル(自由主義的)な民主主義で、ジェンティーレはそれを、あまりにも自由に個人の権利を保護しすぎる個人主義、すなわち利己主義だと決めつけた。ジェンティーレが推奨したもうひとつが、「真の民主主義」で、そこでは個人が自ら進んで国に仕えるというものだ。

彼の哲学の指導者であるカール・マルクスに倣い、ジェンティーレは家族のような共同体、そこに所属している全員が「我々は共にある」と思える共同体を作りたかった。そのような考え方の魅力はよくわかる。実際、それは今なお左翼の修辞的なテーマだ。

たとえば、1984年の民主党大会で、当時のニューヨーク市長マリオ・クオモはアメリカを、政府を通じて市民同士がお互いに気遣い合うような拡大家族になぞらえた。

今も何も変わってはいない。30年後、2012年の民主党大会のスローガンは「政府こそが我々すべてが属するところ」だ。ついでにジェンティーレを引用してもよさそうなものだ。

覚えておいてほしい。ジェンティーレは左翼だ。彼は、筋金入りの社会主義者だった。ジェンティーレにとって、ファシズムは社会主義の一形態、それも、最も効果的な形態だった。マルクスの社会主義が人々を階級に基づいて組織していたのに対し、ファシズムは人々に国家及びそれぞれの階級への帰属を訴えることによって組織していた。1930年代のドイツのファシストはナチスという名だった。まさしく「国家社会主義」の略だ。

ジェンティーレにとっては、すべての個人の行動は社会の為でなくてはならない。個人の興味と社会の関心事に差はない。正しく理解するに、それらは同一だ。では、誰が社会の権力を持つか? 国家以外にありえない。よって、社会に服従するということは、国家に服従するということだ。経済的な面だけではなく、すべてにおいて。すべてが政治に帰するため、国家は人々にどう考え、どう行動するかを告げるようになる。

ジェンティーレの言葉を行動に移したのが、もう一人のイタリア人、1922年から1943年までイタリアの独裁者であった、ベニート・ムッソリーニだ。初期ファシズムの教義的宣言ともいえる彼の「ドクトリン・オブ・ファシズム」にムッソリーニはこう綴った「すべては国家の中にあり、それ以外に人間が存在したり意味を持ったりすることはない」。彼は単にジェンティーレの言葉を言い換えたにすぎない。

このイタリアの哲学者のことは今や誰も知らない。しかし、彼の哲学は全くもって妥当だ。なぜなら、それは現代の左翼の哲学と完全に相似しているから。ジェンティーレの成し遂げたことは中央集権国家を擁護する進歩的な人々に直接的に響く。ここアメリカでは、左翼は民間団体に対して国の管理を拡げた。健康管理から金融機関まで。教育機関から電力業界まで。このような国家主導の資本主義こそが、ドイツとイタリアのファシスト達が1930年代に行っていたことだ。

左翼は彼らを代表する男、ジェンティーレを認めることはできない。なぜならそれは、保守主義をファシズムと結び付けようとする彼らの試みを台無しにするからだ。保守主義は、個人が自由を謳歌できるように、小さな政府を好む。左翼は、ジェンティーレがそうであったように、それとは逆だ。個人と企業の資源を中央集権国家のために集中する。ジェンティーレを認めることは、ファシズムと今日の左翼イデオロギーとの密接な類似性を認めてしまうことだ。だからこそ、彼らはジェンティーレを彼らが決めたように扱う。もう死んでしまって、埋められて、忘れ去られてしまったと。

しかし、我々は忘れてはならない。さもないと、ファシズムの亡霊は我々を呪い続けるだろう。

プレイガー大学のディネシュ・デスーザでした。このビデオを観て頂いてありがとうございます。これを無料で提供し続けるために、どうか所得控除可能な寄付をお願いします。こちらをクリックしてください。 ←(注:翻訳した当サイトとして、ビデオ発信元の意向をそのままお伝えします。当サイトが寄付を募っているわけではありません。念のため)

(海外ニュース翻訳情報局 浅岡 寧)

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