【日中関係・論文】中国vs.日本 アジアのもう一つの大きなゲーム

互いに対する尊重は言うまでもなく、そのようなはかない希望は今やあり得ないも同然に思える。十年以上にわたって、日本および中国の関係は、一見解決しがたい悪循環にはまり込んでいる。そこでは疑いならびに、安全保障、政治、および経済の最前線をめぐる、次第に激しくなる駆け引きが際立っている。1894~95年および1937~45年、現実に日本が中国に侵攻した時期以外の日中間競争の歴史は、しばしば修辞的または知的な実戦訓練のようなものだった。現在の競争は、日中経済の統合およびグローバル化という環境で起きている一方、より直接的だ。

現在、日中間では嫌悪および不信の雰囲気が際立っている。日本の非営利シンクタンクである言論NPOが2015~16年に行った一連の世論調査で、日中関係の危うい状態が明らかになった。2016年に調査された中国人の78パーセント、および日本人の71パーセントが、二国間の関係は悪い、または比較的悪いと考えている。将来日中関係がもっと悪くなると予測する人も、両国民ともに2015年から2016年にかけて大きく増加した。中国では13.6パーセントから20.5パーセントになり、日本では6.6パーセントから10.1パーセントになった。日中関係が、アジアにおける潜在的な衝突原因をもたらしたかを尋ねると、日本人の46.3パーセントが肯定する回答をし、中国人の71.6パーセントが同意した。このような調査結果は、2016年ピュー研究所による調査のような、他の世論調査を追跡している。ピュー研究所では、86パーセントの日本人および81パーセントの中国人が、互いに対して否定的な見方をしたことを発見した。

このような国民の不信の理由の大部分は、中国と日本の間における未解決の政策論争を反映している。たとえば、言論NPOの世論調査で、60パーセントを超える中国人が、日本の好ましくない印象として、第二次世界大戦に関する日本の謝罪および反省の欠如、ならびに中国が釣魚群島として主張する尖閣諸島を、2012年9月に国有化したことの両方を挙げている。

実際、歴史問題は日中関係を悩ませ続ける。中国の指導者は、抜け目なく歴史問題を、日本を激しく非難するための道徳の棍棒として使っていた。そのため、ピュー研究所の世論調査では、中国人の大多数である77パーセントが、日本はまだ戦争に対する謝罪が足りないと主張しているが、50パーセントを超える日本人は、十分に謝罪したと考えている。2013年12月に安倍晋三現首相が、A級戦犯18人が祀られている靖国神社に参拝し物議を醸したが、中国人の目には相次ぐ挑発行為が続いていると映った。安倍氏がささやかな軍備増強を追求し、中国の東シナ海における主張に異議を申し立てていたまさにそのとき、日本が戦争反省を軽視しているように映ったのだ。2017年春の訪中では、中国テレビでの反日的な描写を中止しなかったことが明らかになった。毎晩、中国すべての主要地方で放映されているゴールデンタイムのドラマは、少なくとも3分の1が日本の中国侵攻についてのものであり、流ちょうに日本語を話す俳優のおかげで、それらは真実味を帯びている。

中国人が過去を重視するなら、日本人は現在および未来について非常に懸念している。同じ世論調査で、日本人の65パーセント近くが、現在進行中の尖閣諸島問題が彼らの中国への否定的な見方の原因であると主張した。一方、50パーセントを超える人が、「一見覇権主義的な中国の行動」が、好ましくない印象を残していると挙げている。全体で、ピュー研究所による世論調査の対象となった日本人の80パーセントが、中国との領土問題が、軍事衝突につながることを非常に、または多少懸念していると回答した。対する中国人は59パーセントだった。

未曽有とも言える経済交流の水準にもかかわらず、こういった否定的な印象および戦争への恐怖が出現する。最近の中国の経済減速にあってさえ、CIAの(各国要覧)『ワールド・ファクトブック』によると、日本は中国にとって第3位の貿易相手国であり、中国の輸出の6パーセント、および輸入の9パーセントを占めていた。中国は日本にとって最大の貿易相手国であり、日本の輸出の17.5パーセントを受け入れ、および輸入のちょうど4分の1を提供している。正確な数字を確定するのは難しいが、日系企業は直接的、または間接的に1000万人もの中国人を雇用しており、その大部分は中国本土での雇用であると言われている。より強固な経済的結びつきが、安全保障の衝突への敷居を上げるという新自由主義的な前提は、日中の事例で試されている。今のところ、新自由主義的な概念を支持する者も、批判する者も、自分の解釈が正しいと主張し得る状況であるからだ。小泉純一郎政権の間に関係が低迷して以降、井上正也氏のような日本の研究者は、政治的に冷たく、経済的に熱い「政冷経熱」と日中関係を表現している。その関係は、中国人訪日観光客数の急増という別の意味で反映されており、2016年合計で640万人近くになった。一方、中国国家観光局は、250万人に近い日本人が訪中し、韓国人観光客に次いで2位となったと主張する。

しかし、成長する日中の経済関係は、地政学的な緊張に影響されなかったわけではない。中国が尖閣問題について日本に向けた抗議は、2013年から2014年の間、日本の中国に対する外国直接投資の急減につながった。投資は、対前年比でそれぞれ20~50パーセント落ち込んでいる。この減少に呼応して、インドネシア、タイ、マレーシア、およびシンガポールを含む東南アジアに対する日本の投資が増加している。

日本企業側の中国に対する否定的態度が、政治的、知的領域にも反映された。日本のアナリストは何年もの間、中国の成長の長期的な影響に懸念を抱いてきた。しかしそのような懸念は、とりわけ2011年に中国経済がひとたび日本のそれを追い越した際に、公然の悩みと化した。2010年を皮切りに尖閣諸島で頻発した事件に起因して両国に政治的関係の危機が生じて以降、日本の政策当局は、中国政府の動きを新興著しい国家による勢力の誇示だと解釈した。また同当局は、東シナ海をめぐる中国の主張行動に対する米国の一見無頓着な態度に苛立ちを募らせた。私が出席した2016年のある国際会議では、日本の上級外交官が、アジアの水域における中国の侵攻に対して美辞麗句ばかりで何ら対抗しないことについて、米国政府や他のアジア諸国の政府を厳しく批判するとともに、軍の支配を増そうという中国政府の試みを鈍化させるには遅きに失したかもしれないと警告した。彼(おそらくはその上司たちも)が目の当たりにしたものを、中国のアジア全域にわたる侵略についての過度の自己満足として非難しつつ、「何も分かってらっしゃいませんね」と彼はいつになく率直な物言いで繰り返した。何人かの有力な思想家や当局者の目には、中国が、日本の行動の自由に対するほぼ現実の脅威に映るであろうことは想像に難くない。

中国の当局者はと言えば、日本とその将来の見通しをほとんど見下している。ある有力な学者から聞いたところでは、中国にはすでに日本の全人口より多くの裕福な人民がいるので、両国間には競合の余地はないだろうとのことだ。すなわち日本は中国に全くついていくことができない、よって日本の影響力(および中国への対抗力)は消えゆく運命なのだ、と彼は断言した。同様に、中国の最も影響力を持ったシンクタンクの1つを訪ねたことで、日本についてのほぼ画一的な否定的見解が明らかになった。多数のアナリストが、南シナ海に対する日本の意向に関して疑念を表明した。それはおそらく、当該地域で増加しつつある日本の活動への懸念を吐露したものだったのだろう。「日本は『戦後の』米国支配体制下から抜け出て、同盟関係を終わらせたいと思っている」とあるアナリストは断言した。別のアナリストは、日本政府がアジアで「混乱を招くような役割を果たしている」こと、そして中国に対抗する緩い同盟関係を創り出していることについて批判した。中国のエリートの間で多く見られるこれらの感情の根底にあるのは、日本の正当性を主要なアジアの国家として受け入れることについての拒絶の意である。その気持ちには、中国がアジアの内海における海運を支配するという目的を達するのを阻止し得るのは、アジアではインドとともに日本がおそらく唯一の国である、と少なからず恐れる気持ちが混じっている。

中国と日本相互の不信感は、長く続く緊張状態のみならず、両国がアジアにおける各自の地位を熟考する際に感じた不安感についての一つの手がかりをも明らかにしている。これらの不安感と緊張状態が結びついて、両国が広範囲にわたる経済関係を維持しているにもかかわらず、それぞれが他方と行っている競合を創り出すのだ。

いよいよ、中国と日本のアジアにおける外交政策は、互いの影響を打ち消し、あるいは互いの目的を阻むことに狙いを定めているように思われる。このような競合的な取組みは、いつもの外交交流でのうわべだけの親善のみならず、上述したような深い経済相互作用という文脈で行なわれている。実際のところ、より直接的な衝突のひとつが、局所的な貿易と投資に関して起きている。

経済の近代化における幸先の良いスタートと米国との戦後の政治同盟により、日本はアジアの萌芽期の経済制度と合意の形成に寄与した。マニラに本拠地を置くアジア開発銀行(ADB)は1966年に設立され、常に日本人を会長に頂き、米国主導の世界銀行と密接に連動してきた。この二つの団体は、政治改革と幅広い国家開発に対する期待を込めて、独立国家への貸付基準の大部分を設定した。ADBに加え、日本はまた、1954年に開始された政府開発援助(ODA)に数千億ドル規模を費やした。2003年までには、既に2210億ドルの価値に相当する支援金が世界規模で支払われていた。そして2014年には、さらにおよそ70億ドルのODAが世界規模で予算に計上された。この額のうちの37億ドルが東アジアと南アジア、それも主に東南アジア、とりわけミャンマーで使われた。政治学者バーバラ・スターリング(Barbara Stallings)とユン・ミー・キム(Eun Mee Kim)は、全般的に見て、日本の海外援助の60パーセント以上が東アジア、南アジア、および中央アジアに対して行われていると述べた。日本の援助は伝統的にインフラ開発、上下水道、公衆衛生、および人材育成に目標を定めてきた。

それとは対照的に、中国もまた1950年代に海外援助を提供し始めたけれども、その制度上のイニシアチブと援助・支援は伝統的にはるかに日本に遅れを取っていた。学者たちは、外国との商取引と重複するため、中国の開発援助を評価することはこれまでいくぶん困難であったと指摘した。そのうえ、中国の支援の半分以上はサハラ砂漠以南のアフリカ諸国に対して行われており、わずか30パーセントが東アジア、南アジア、および中央アジアに対して行われているにすぎない。

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