【日中関係・論文】中国vs.日本 アジアのもう一つの大きなゲーム

しかし歴史の大部分では、日本と中国を比較することは妄想のように思えるかもしれない。島国の力では、団結した大陸の国々と競うことはほとんどできなかった。紀元前221年、秦から始まる中国の統一帝国が現れると、日本は大陸の隣国を前に影をひそめていた。群雄割拠の時代でさえ、中国の競い合う分裂国の多くは、日本全体と同じくらいか、さらに大きかった。したがって、三国時代の半世紀間、日本の倭国女王が(魏国の武帝)曹操に朝貢したとき、魏・呉・蜀の三国はそれぞれ、日本の皇室初期よりも多くの領地を支配していた。中国生来の優越感は、日本を指して使った「倭」という言葉そのものに反映されている。倭とは通常、「小人」または、場合によっては「服従する者」を意味するものと受け入れられており、古代中国の他民族についての観念に合致する。同様に、日本が地理的に大陸から孤立していることは、日本海を越えて韓国に向かう危険な試みがほとんど行われなかったことを意味する。それを行うのは通常、最も勇敢な仏教僧および商人のみだった。草創期の中国史書で、日本は「大洋の真ん中にある」土地であると繰り返し紹介されており、日本の孤立および大陸との違いを強調している。平安時代(794年~1185年)、または江戸時代(1603年~1868年)といった、長期に及ぶ日本の政治的な孤立は、アジアの何世紀にもわたる歴史的な発展という主流から、かつての日本は大部分で外れていたことを意味する。

近代世界の幕開けは、日本と中国との間の伝統的な格差を根底から覆した。実際、中国人が「屈辱の世紀」と呼び続ける1839年のアヘン戦争から1949年の中国共産党勝利までは、日本が世界初の非西欧の列強として台頭したのとほぼ同時期だった。数世紀の歳を重ねた清王朝、および千年の歳を重ねた中国の帝国制度が崩壊したとき、日本は近代国家へと前進し、当時最大の二帝国に軍事的な敗北を与える。二帝国とは、1895年の中国と、十年後の(皇帝による専制政治)ツァーリスト、ロシアのことだ。1930年代日本の、満州を侵攻し、米国および他の欧州列強と戦うという破滅的な決定はアジア全体の荒廃をもたらした。だが、中国が1911年の辛亥革命の後、数十年の軍閥主義に陥り、蒋介石の国民党対毛沢東の共産党との内戦が起きたときでさえ、日本は1945年の荒廃から世界2位の経済大国として台頭した。

しかし、1990年以降その潮流は逆転し、日本が、戦後の絶頂期から想像し得た以上に、中国は世界で支配的な地位を占めるようになった。国際的な大国が、政治的影響、経済的活力、および軍事力から成る3つ脚の椅子だと大まかに考えると、日本は第二次世界大戦後に経済的な潜在能力を充分に発展させただけであり、その地位ですら数十年後に失っている。一方、中国は国際政治の場を支配するようになり、世界2位の強力な軍隊を構築し、および世界中の100を超える国にとって最大の貿易相手国となっている。

ただ、相対的には、現在中国および日本はともに豊かで強力な国だ。一世代近く経済的に停滞しているにもかかわらず、日本は依然として世界第3位の経済大国だ。日本はまた、およそ年500億ドルを軍事に費やしており、世界で最も先進的かつ訓練された防衛軍の1つを誇っている。大陸では、大胆な一帯一路構想、自由貿易の提案、および拡大しつつある軍事範囲で、中国は米国に次ぐ世界2位の大国と広く認められている。こうしたほぼ同格の関係は日中間にはこれまでなかったものであり、よく知られていないにしろ、恐らく現代における関係の最大要因となっている。また、この互角の関係が、アジアにおける二国間の激しい競争に拍車をかけている。

国家間の競争は元来、そのすべてが攻撃に至るわけではなく、特に争いの多い関係になるというわけでもない。実際、日中関係を2017年の有利な立場から見ると、伝統的な両国の結びつきについての議論がゆがめられてしまうかもしれない。歴史の中で長らく、日本は中国を暗い海の灯台として見てきた。つまり、アジアで最も先進的な文明として、政治的・経済的な手本として、および社会文化的な型として見てきたのである。唐時代(7~10世紀)または千年後の徳川将軍支配の間(17~19世紀)の間に、時としてその称賛が、優越ではないにしろ、対等を主張する試みにゆがめられることもあった。しかし、それで両国間の交流に、前向きな要素がなかったと推測するのは誤りだろう。同様に、中国の改革者らは、日本が19世紀後半に封建制度の近代化に成功し、しばらくの間手本とされるまでになったことを理解していた。1911年辛亥革命の父である孫文が、中国からの亡命中、20世紀初頭の数年間を日本で過ごしたのは偶然ではない。太平洋戦争中の、日本の残酷な中国侵攻および占領の後でさえ、1960年代および1970年代に田中角栄首相のような日本の政治家が中国に働きかけて関係を修復し、アジア冷戦を具体化しうる日中関係の新時代をも熟考した。

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