【JFKファイル速報3】:ソ連は『いいかげんな米国司令官』による、暗殺後の攻撃を恐れていた

By  M・J 海外ニュース翻訳情報局  2017/10/29  9:23  update 2017/10/31 2:12

当サイトは、以前お知らせしたとおり、JFKの機密文書の独自読み込みと同時に、新事実を入手次第、記事をアップいたします。
今回は、ロシア・トゥディから抄訳で紹介します。

米国国立公文書館は木曜、数千におよぶ、ケネディ暗殺に関する待望の機密文書を公開した。
しかし、一部文書はFBIおよびCIAの助言により、ドナルド・トランプ大統領が公表を差し控えたとAP通信が報道した。以下、これまでに公開された書類に含まれている主要な新事実である。

ソ連、全面戦争を恐れる

ソ連はケネディ暗殺が、米ソ間での全面戦争を引き起こすことを恐れていた。
文書で引用されているCIAのソースは、共産党当局者が、殺害は米国の「極右」による陰謀の一部であり、「リーダーシップなしに、いいかげんな米国司令官がソ連にミサイルを発射するかもしれない」と懸念していたと主張していた。

FBIのオズワルド起訴

(当時のFBI長官)フーバー氏は、ダラス警察署の事件対応に批判的であり、FBIの関与なしに、ダラス警察署が起訴に持ち込むことはできなかったかもしれないと語っていた。「我々が、武器を追跡し、筆跡鑑定をし、茶色いバッグについていた指紋鑑定をした」と彼は語り、上席警察官はテレビに出すぎていると付け加えた。

「人前で嬉しそうにするのをやめる」

キューバの外交官は、JFK殺害の後に、「人前で幸せそうにするのをやめる」よう命令されていた。
ある文書によると、キューバ大使のクルス氏は、暗殺のニュースを耳にした後、「幸せで嬉しそう」な反応を見せていたと言われているが、オズワルドのキューバの左翼活動家団体とのつながりの詳細が徐々に知れ渡ると、心配するようになったという。

FBIは暗殺前、オズワルドを追跡していた

1963年10月にFBIのニューオーリンズ地方局がオズワルドを追跡していた。それは、暗殺が起きる1か月前のことであった。

オズワルドの「KGB当局」との面会

1963年9月に、オズワルドがメキシコシティーのソ連大使館を訪問したことは機密事項ではなかったが、彼が、文書で「認定されたKGB当局者」と表現されていた、ワレーリ・ウラジーミロヴィチ・コスチコフ(Valeriy Vladimirovich Kostikov)領事と話していたことがファイルで明らかになった。

FBIは、オズワルドに対する脅迫をダラス警察署に警告していた

フーバーFBI長官が、オズワルド死亡当日に送ったメモによると、FBIは、オズワルド殺害のために組織された委員会のメンバーを名乗る男から、ダラス事務所で電話を受けていた。フーバー氏は、警察署長にこのことを2回も知らせ、署長もオズワルドに充分な保護を与えると断言していたにもかかわらず、実現されなかったとメモで述べていた。

ルビーのダラス警察署とのつながり

情報提供者はFBIに、オズワルドの暗殺者であるジャック・ルビーは、ダラスの地元警察と密接なつながりがあったと伝えた。ルビー氏は、当局に(自身が経営していた)ナイトクラブで飲み物を無料で提供していたと言われている。

英国紙、「大ニュース」の警告を受けていた

CIA副長官からFBI長官に宛てたメモによると、イングランドのケンブリッジ・ニュースの上席記者が、匿名の電話を受け、ロンドンの米国大使館に「かなりの大ニュース」のことを連絡すべきだと言われた後、突然電話を切られている。

暗殺のニュースが報じられた後、記者はケンブリッジ警察署に電話し、警察署は保安局(MI-5)とともにその匿名電話の履歴を取った。その電話は、JFK銃撃の約25分前にかけられたと計算されている。

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