JFK、CIA、マフィア、フィデル・カストロ−ついにトランプが真実を開示する可能性

J・Fケネディの暗殺については、今だはっきりした真実が公に公表されていません。映画や小説、陰謀論などその真相に興味を抱く人も多いのではないでしょうか。1992年にジョージ・HWブッシュ大統領が、25年以内にCIAの文書開示を命じる法律に署名してから今年が25年目、10月26日が期限になります。その開示期限の年の大統領が選挙公約でエスタブリッシュメントの沼地排水を目指していたトランプ大統領だということは、なにか運命のようなものを感じます。今回はロシア・トゥディの記事を紹介します。ロシア・トゥディは、モスクワを本拠地にした欧州最大の地域視聴者を持つ世界的なニュースチャンネルです。
Post 2017/10/15 15:14 update 2017/10/15 21:07

RT   BY John Lee   2017/10/13

米国史上最も衝撃的な出来事の一つ、ジョンF・ケネディ大統領の暗殺事件に終止符を打つ可能性のある動きにおいて、最高機密ファイルが今月に機密解除される予定だ。

25年以内にケネディの暗殺に関連するすべての文書を開示する命じる法律は、ブッシュ(George H.W.)元大統領によって1992年に署名された。1992年のJFK記録法(JFK Records Act)の下、国立公文書館は、国家安全保障に支障をきたすとトランプ大統領が判断しない限り、今年の10月26日までに暗殺に関連する残りのファイルを開示しなければならない。国立公文書館によって依然封印されているファイルは約3,100件にものぼる。

ほとんどのまともな考えをもつ人は、ファイルが開示されるのを予想し、歴史上最も象徴的な政治家の死に関して絶え間ない憶測が続くことに終止符を打ちたいと思っているであろう。

この終わりの見えない異様な、未解明の謎を楽しんでいる少人数のグループがいて、彼らは鍵をかけられた状態のファイルを見たいと思っている。
しかし、これでは、病的な憶測が続くのを認めることになってしまう。

1963年に米国大統領を暗殺する陰謀はあったのだろうか?1963年11月22日に起こった事件に関する公式見解、すなわち、ダラス・ブック・デポジットリービルの窓から、単独の狙撃犯リー・ハーベイ・オズワルドがオープントップのリムジンに乗っていたケネディ大統領を撃ったという見解を否定するような立証可能な証拠は提示されていない。オズワルドは米海兵隊で訓練された二級射手だった。それでもやはり、21ドルの通信販売で手に入れたライフルでの銃撃は死に至らしめるには十分だった。

11月24日、テレビの生放送中、警察はダラス警察署の地下室にオズワルドを連行した。その時、ソフト帽をかぶった大男が前方に歩み出て一発の弾丸をオズワルドに撃った。そして、我々は瀕死の男が痛みに叫び声をあげるのを聞いた。

確かに、ジャック・ルビー(Jack Ruby)は、愛国的な復讐心に取りつかれた狂人だったことはあり得る。

ナイトクラブのオーナーだったジャック・ルビーは、マフィアとのつながり、 警察ともつながりがあり、暗殺者を撃ったと直ちに公表された事実が不信感を募らせた。

ダラスでの暗殺事件直後にリンドン・ジョンソン(Lyndon Johnson)大統領によって事件調査のためのウォーレン委員会が設立された。前例のない激動の時代に入っていた国家を素早く落ち着かせたかったことから、委員会は速やかに単独狙撃犯説を承認することに決めた。

しかし、1978年、下院選挙委員会 は、ケネディが複数の銃撃者や組織犯罪が関与する「陰謀の結果としておそらく暗殺された」と中間報告書において結論を下した。双方の調査の結果が争点の的となった。

おそらく他の政党の関与を隠蔽するための大がかりな陰謀を必要としただろう。

ケネディ家は、60年代初頭の奇妙な超法規的な同盟関係の中心だった。ケネディが1960年に大統領に選出される頃には、冷戦が15年目を迎えた。差し迫る核戦争の病的恐怖と、ケネディ家の親友であるアルコール依存症のジョー・マッカーシー(Joe McCarthy)が率いる議会よりの専断不公平な裁判所が、米国のエスタブリッシュメントを腹黒い妄想に押しやった。

ジョン・ケネディは大統領に選ばれた初めてのアイルランドのカトリック教徒だった。アイルランドの優等生がそうあるべきかのように政権を握った。彼の政権はファミリービジネスだった。弟のボビーは司法省に就いた。民主党のポスターの魅力的な男の子2人は、実際には、押しの強い冷戦時代の戦士と極端な反共産主義者だった。共産党の指導者フィデル・カストロ(Fidel Castro)は、1959年にフロリダから90マイル離れたキューバに政権を置いたため、ケネディ家は何としてでも彼を追放するべくこれに即時着手した。

謀略は、1959年のキューバ革命直後にドワイト・アイゼンハワー(Dwight Eisenhower)政権から始まった。1961年に、ケネディと米国政府の支援を受けた(反カストロの)亡命キューバ人部隊がピッグス湾に侵攻し、カストロ政権を転覆させようとした。この計画は、フィデルとラウール・カストロ(Raúl Castro)をチェ・ゲバラ(Che Guevara)とともに暗殺しようするものだった。ケネディ大統領が1963年に暗殺された日、諜報員がカストロを殺害する任務に派遣された。

これまでカストロに対する謀略は4人の米国大統領の下で行われ、ケネディだけが殺害された。

既に開示されたCIAファイルによると、信じがたいことに、当局は、謀略についてマフィアと結託して、カストロの生涯で600回もの計画を企てていることがわかった。

あるファイルでは、ロバート・ケネディが結託の事実を知った時に彼が「腹を立てている」と言っていることさえ示している。しかし、彼はこの癒着を停止するよう求めなかった。

後に射殺されたサム・モモ・ジアンカナ(Sam ‘Momo’ Giancana)は、キューバ策略に参加したギャングの一人だった。ケネディ兄弟の父ジョセフ・P・ケネディ(Joseph P Kennedy)と悪名高いサイコパス・ジアンカナを含むギャングたちとの間には、麻薬の流通ルートがあった。ジアンカナはまたJFKと愛人ジュディス・エクスナー(Judith Exner)を共有していた。そしてジアンカナとJFKは、伝説の歌手フランクシナトラ(Frank Sinatra)と友情を分かち合った。続けてもいいが、既に随分と脇道へそれてしまったようだ。

そしてそれこそが、ケネディやすべての闇の敵や魅惑の友人たちから始まり、決して終わりにたどりつくことのない、長く恐ろしいCIAの対外的な陰謀の歴史に向き合う時のポイントなのだ。それは、セックス、死、政治、ショービジネス、そして冷戦時代のスパイ活動などからなる、果てしなく魅力的なカクテルなのだ。そのようなストーリーが本や映画を売ったのである。

歴史家に今さらに問われるもう一つの質問は、隠蔽があったか?ということだ。

そして、この驚くべき2〜3年間でいくつかのことが浮かび上がってきた。

これらの事実は立証可能であるから、10月26日にファイルの機密解除がなされる可能性について期待が膨らむ。通常、秘密主義の中央情報局(CIA)は、信じがたいことだが、問題があることを認めている。

2013年にCIAの社内史家は、1963年と1964年にウォーレン委員会が調査を行う間に諜報機関が隠蔽を行ったと結論付けた。CIAは、自らが「最善の真実」であると信じていたことに委員会の焦点を当てたままにしたいと考えた。最善の真実とはつまり、リー・ハーベイ・オズワルドが、まだ動機も定まらぬままジョン・ケネディ殺害を単独で実行したということだ。

秘密の報告書は2013年に書かれ、2014年にひっそりと機密扱いから外された。スパイ機関の歴史家は、自分以外の人々がすでに確信していたことを認めている。つまり、元CIAのジョン・マコーネ(John McCone)とCIAの他の上級CIA,当局者は、ウォーレン委員会がJFKの暗殺事件後の調査を開始したときに、「衝撃的な」情報を同委員会に隠しておくよう「共謀」していた。

CIAの歴史家デビッド・ロバージェ(David Robarge)の報告によると、1991年に死亡したマコーネは、諜報機関にとって「親切な隠蔽」の中心にあり、委員会を単独狙撃犯説に集中させようとしていたのだ。

具体的には、マコーネは、カストロを暗殺するためのCIAとマフィアの謀略の存在を委員会には伝えないでおいた。この情報がなかったがために、委員会は、オズワルドがキューバと、あるいはカストロへの謀略に対する報復でケネディの死を望んでいたどこか他の地域と結託していたかどうか、という問いかけを認識することすらなかったのだ。

そして今年の8月には、1992年のブッシュ法のもとで、あらかじめ分類された文書のさらなる一部が開示された。それらもまた興味を掻き立てるものだった。

国立公文書館が公表したファイルによれば、ケネディの暗殺から数年のうちに、CIAの一部の者が、公式見解は間違っているのではないかと内部で心配し始めたとのこと示している。

鍵となるCIA職員は憂慮していた。すなわち、1970年代半ばまで、諜報機関、FBI、シークレット・サービス、およびアール・ウォーレン(Earl Warren)最高裁判所長官が率いる委員会が、オズワルドと外国機関との接触についての重要な手がかりを徹底追及しなかったことである。ここでいう外国機関には外交官やキューバ共産主義政権やソ連のスパイも含むが、それらの者は、ケネディを殺す計画に気づき、計画を奨励さえしていたかもしれない。

これまでに開示された文書に引用されている証拠において、カストロや他の外国指導者がケネディ暗殺を命じるために何らかの個人的役割を果たしていたことについて信憑性のある証拠はない。

しかし、もしCIAが隠蔽し、1970年代初期にこのことを考えていたと言っているならば、今月に出現することが予想される何らかの爆弾情報を期待している人達が正しいのかもしれない。

むろん、いつものように、政治は相変わらずだ。

共和党のドナルド・トランプ大統領は、暗殺された民主党大統領の殺害に関するファイルを開示するよう求められている。それも並みの大統領ではなく、家族がアメリカ政治の王家になった、若く悲劇的でハンサムなリーダー、ジョン・ケネディなのだ。

共和党は、ケネディが濁水で泳ぐことで彼らの遺産が汚されると思っているかもしれない。

「米国国民が真実を知る必要があると信じている」とウォルター・ジョーンズ下院議員(ノースカロライナ州・共和党)は述べた。チャック・グラスリー上院議員(アイオワ州・共和党)とともに彼は、CIAとFBIによって編集される何千もの文書と記録の機密扱いを解く議会努力の先頭に立っている。

「私はまだ犯人が一人の男性だと確信しがたいが、同時にそうではないという証拠もない」とジョーンズは述べた。

議論がCIAとFBIから見て十分に説得力のあるものならば、トランプは、ファイルを秘密にしておくかもしれない。しかし、我々の多くは、その議論がどちらにしても終止符を打つことを望んでいる。

【筆者について】John Leeは、Mail on Sunday(アイルランド版)の政治編集者およびコラムニストです。彼はSunday TimesやDaily Telegraph(オーストラリア)を含む数多くのタイトルのために、20年以上にわたってアイルランド、イギリス、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアの政治を担当してきました。

(翻訳者 K・M))

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