なぜ自由貿易はかならずしも機能しないのか?

American Greatness掲載の、自由貿易に疑問を呈するスペンサー・P.モリソン 氏のコラムを紹介します、
post 2017/10/05 17:17

American Greatness By | October 3, 2017

誰もが、アダム・スミス、ジョン・メイナード・ケインズ、ミルトン・フリードマンのことは聞いたことがあるだろう。彼らは歴史上もっとも影響力のある経済学者だというだけでなく、知的な有名人でもある。『国富論』のような本はよく引用されている。しかし、あなたが孤独な経済学者でもないかぎり、デイヴィッド・リカード(1823年没)や彼の著書『経済学および課税の原理』のことはおそらくご存じないだろう。なんとももったいないことだ。リカードは一群の経済学者のなかでもとりわけ重要かもしれない。彼の大きな考えである比較優位理論は、国際自由貿易のみならず、現代経済のグローバル化を実証している。

グローバル化はリカードが建てた家のようなものだ。

ただひとつの小さな問題は、比較優位はかならずしも機能しないことだ。実際には、おもに19世紀のビクトリア朝の没落や1970年代以降のアメリカの衰退のおかげで、それはよく誤用される。

比較優位とはなにか?

その理論は基本的には簡単だ。それぞれの国が自国での生産を比較的得意とする製品を、比較的そうでない他国製品と取引すべきだということ。これが経済をより効率的にし、よって誰もが儲かるはず(なぜなら、すべての製品が全体としてより少ない労力で生産されることになるから)。
この要点を説明するために、リカードは今となっては古典的な例をあげた。それはこうだ。イギリスとポルトガル、ふたつの国があるとしよう。そして、その両国が布地とワインを生産しているとしよう。仮にイギリスが一反の布地を生産するのに100人時、一樽のワインを生産するのに120時間かかるとする(それぞれを生産するために合計220時間が必要)。この例では、イギリスはワインよりも布地の生産に長けていることになる。

では、ポルトガルでは、一反の布地に90時間、一樽のワインに80時間の生産時間しか必要でないとしよう(両方を生産するのに170時間)。ポルトガルは布地とワインの両方を生産することに、完璧に長けていると言えるだろう。なぜなら、その両方の商品を生産するために、ポルトガル人はより短い時間しか要しないからだ。しかしその中でもポルトガルは、布地よりはワインを生産することに比較的長けている。それゆえこの場合、イギリスに比べて、ポルトガルはワインの生産に比較優位を持ち、イギリスは布地の生産にそれを持っていると言える。つまり、それぞれの国がある商品の生産において長けており、その商品の生産に特化することは理にかなっていて(イギリスは布地に特化すべきであり、ポルトガルはワイン)、別の商品を手に入れるためにはそれぞれを交換すればいい。

論理的、また数学的に、比較優位は理にかなっている。もしどちらの国もある商品に特化しなければ、イギリスは各1単位の布地とワインを生産するのに220時間、ポルトガルは同様に170時間かかってしまう。しかし、もし両国が生産を特化して貿易すれば、同じ労働力が2.2単位の布地と2.125単位のワインを生み出すことになる。まるで魔法だ。生産特化と貿易はすべての人を裕福にする。

比較優位を国際的にあてはめると、すべての地域がそれぞれ比較優位を持つ商品に特化して生産することになり、国際経済が最大限効率化され、よって世界中が裕福になるはずである。

では、本当にそうなっている?

外挿は機能しない。今こそ、国際自由貿易の立派な建物を崩すときだ。

なぜ比較優位は失敗したか

皮肉にも、比較優位に対する最大の批判は、デイヴィッド・リカード自身によるものだった。彼は著書の中で、その論理は領域特定、つまりある仮定的な条件が揃った場合にのみ成立すると書いた。ある意味、比較優位理論はそれ自身を破壊する種を内包しているとも言える。リカードはこう書いた

「ワインと布地の両方がポルトガルで生産され、イギリスで布地を生産していた資産と労働力がポルトガルに移管されることが、イギリスの資本家(と消費者)にとって間違いなく有利となろう」

彼の理論によると、イギリスは布地とワインの両方をポルトガルから輸入し(なぜならポルトガルはその両方をより効率的に生産できるため)、そしてイギリスの布地産業は、現代の語法を使うなら、ポルトガルにオフショアされてしかるべきだと、リカードははっきりとそう書いた。これはオフショア(海外生産)による貿易赤字を生み出す。まさに、アメリカが発展途上国との貿易協定にサインするたびに、現実世界で起こっていることだ。

もちろん、リカードは馬鹿ではない。この仮説がイギリスにとっては負けにつながる戦略だということは、彼にはよくわかっている。なぜなら、もしイギリスがすべてを輸入して何も生産しないなら、イギリスには経済は存在しなくなるからだ。さらに、イギリスは輸入相手国に対して脆弱な立場になってしまう。あたかも、アメリカが石油に関して、サウジアラビアとその他のいざというときに頼りにならない友人(ときには敵国となり得る)に頼っているように。だからリカードは、貿易の殿堂が崩れないよう、知的な支えを追加した。「ほとんどの資産家は、外国での安い賃金による富を探し求めるよりは、彼ら自身の国の中での低い利益に満足するであろう」と彼は言った。

このように、比較優位全体を覆う理論、国際自由貿易それ自体であるリカードの論点は、多くの人々はお金よりも自分たちの国を愛し、よって善意の心から自国に投資するという仮定に成り立っている。

もちろん、それは正しくはない。「強欲はいいものだ」が本質だと言ったゴードン・ゲッコー(訳注:映画『ウォール街』中のキャラクター)は正しかった。

リカードはまた、この明らかな欠点に対し、比較優位により技術的な防御を加えた。彼は、オフショアは不可能、なぜなら資産は動かせないからだと強調した。つまり、イギリスの紡績工場はどっちみちポルトガルに動かすことはできないと。これが、私が先に述べた先行条件、つまり、比較優位は、取引が一国内のみで行われる、もしくはなんらかの理由で移管が不可能など、資産が固定されていてオフショアが起こりえないという条件下でのみ成り立つ領域特定だということだ。

公平を期すと、リカードが『原理』を書いた時代には、確かにほとんどの資産は動かすことができなかった。彼の比較優位理論は、19世紀初頭の、移動が桁違いに高価な手段で、製造機械をイギリスから輸出することは法的に不可能で、工業製品に対する税率が50パーセントを超え、ほとんどの国で資本市場が未発達で、各地での戦争が大掛かりな交易を不可能にしていた時代には成り立っていた。それゆえ、この仮定の問題はリカードにはあくまでも仮説にすぎなかった。しかし、それはもはや正しくはない。

現代の経済では資産は簡単に動かせる。アメリカから中国に工場を移転することは短期間で可能だし、大量の商品の輸送は驚くほど(ほとんど信じられないほど)安価で済む。実際、1823年のリカードの死から数十年で、資産はより可動的になり、彼の仮説のジレンマはやがて現実となった。

1800年代を通じて、イギリスの資本家がより大きな利益を求めて海外に投資を増やすにつれ、イギリスからの資本流出は継続的に増加していた。1815年には1千万ポンドが海外向けに投資された。1825年にはそれが1億ポンドに増え、1870年までにその額は7億ポンドとなった。海外投資額が最高を極めた1914年には、イギリス中の富の35パーセント以上が海外に出て、その結果イギリスは深刻で長い国内への投資不足に悩むことになった。同様に、イギリス市場にドイツ製やアメリカ製の商品が溢れた結果、経済および工業の伸びが減退した。同じことが現在のアメリカにも起こっている。2000年から2015年の間、我々は海外直接投資(FDI)の形で約4兆ドルを海外に投資し、累計で10兆ドルの貿易赤字を蓄えた。

これら二つの真実(「人々は強欲」そして「資産は可動的」)が、比較優位の根本的な前提を無効にし、歴史的な知的骨董品店におさめるほどまでに、それを完全に破壊した。リカードは自らの理論の限界を認識できるだけ頭脳明晰だったし、彼の理論が決してあてはまることのない現実世界での国際自由貿易を正当化するために、彼の案が私生児と認定されてしまったことは非常に残念だ。皮肉にも、私の同僚であるボブ・キャルコが示したように、同じことがアダム・スミスにも言える。

リカードの怪物よ、安らかに眠れ。

理論と現実の邂逅

おそらく、この文章を終えるにあたって一番よい方法は、リカードのイギリスとポルトガルの仮定と、それらの国に現実に起こったことを比較することだろう。彼の例では、ポルトガルはそのワインの比較優位により裕福となり、イギリスは同様に布地に特化して裕福になる。両国は貿易をし、どちらも利益をこうむる。
現実は厳しい。1703年に両国はメシュエン条約を締結。いくつかの項目の中には、ポルトガルの輸入禁止品目からイギリスの布地を除くということが記載されていた。その後数十年にわたり、安いイギリス製の輸入品がポルトガルの織物産業を破壊し、ポルトガルはワインの輸出に頼らざるを得なくなった。やがて、イギリスはポルトガルでの織物産業を独占し、布製品の市場価格を釣り上げることに成功、さらに発達した織物産業を拡大し(これが機械と技術の躍進につながり、のちの産業革命につながることになる)、ポルトガルのワイン農場を買収、最終的に布地とワイン両方の産業を手にすることになる。すべての産業が同じ価値を持つわけではないのは明らかだ。布地はワインよりも儲かった。結果的には、メシュエン条約はイギリスの工業化を促進し、富をもたらした。ポルトガルを犠牲にして。

メシュエン条約の話には二つの重要な教訓がある。ひとつは、経験上の証拠よりも理論を重視しないように気を付けなければならないこと。ものごとは紙の上ではよく見えても、現実の中ではひどく失敗することが多い。二つ目に、私たちはポルトガルでなくイギリスがやったように努力するべきであること。アメリカの貿易政策は、それが仮に関税を課すことになったり、他国との“不公平な”取引にサインすることになったとしても、できるだけ国内での最新産業に特化すべきである。私たちは経済学者のように考えるのをやめ、ビジネスマンのように考えるべきだ。

著者について:

スペンサー・P.モリソン :
法学の学生、作家、”ボブスン、ゴールド”の著者 。全米経済学術誌(National Economics Editorial:https://www.nationaleconomicseditorial.com)の編集長

(翻訳 浅岡寧)

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