【オピニオン】中国共産主義の歴史における中国共産党の役割

BY LEE EDWARDS

・中国を理解したいのであれば、共産党の主要な役割を理解する必要がある
・8800万人の党員を擁する中国共産党は、中国人の生活のあらゆる場面に関与している

私たちはどうしてこうも中国のことが気にかかるのだろう。もちろん、中国にいる私たちの友人が彼ら自身の国の現在と未来に注目することは当たり前だ。だが、その他の私たちはいったいどうして?

私に中国のことを最も教えてくれたのは、十年にわたって華南、そして華北で働いたウォルター・ジャッド博士(訳注:共和党議員 1898-1994)だった。中国がなぜ重要なのかを問われた彼はよく手のひらを見せ、こう言ったものだ。 「これがアジアだとしよう。私の手のひらが中国(Middle Kingdom)、そしてこの指がそれぞれ中国を取り囲む国々だ。日本、韓国、インドシナ、フィリピン、そしてインドネシア」

「中国が平和で自由と民主主義を認めている時は」と、ジャッド博士は言う。「すべてのアジアの国々が平和で、自由な暮らしができる。だが、いったん中国が兵器を作り、周辺国を脅そうとしはじめると、それはアジア全体の脅威となる」

同様の類推が国際関係にもあてはまる。中国は国際通商・貿易の中心だ。アメリカ、ロシア、日本、ドイツ、EU、その他の国々と競合している。中国が公正取引と国際法に従ってさえいれば世界は平和であり、中国は国家間コミュニティーに不可欠なメンバーとして認められる。

しかし、いったん中国が経済、そしてそれ以外においても攻撃的になると、世界はとたんに不安になり、困難に陥る。だから中国が誰にとっても重要なのだ。
そして、中国を理解するには、私たちは中国の諸問題の管理における共産党の主要な役割を理解する必要がある。

中国と共産党の略歴をおさらいしてみよう。

1920年代の初め、中国は毛沢東の紅軍と蒋介石の国民党軍の間で激しい内戦状態にあった。1930年代初頭には蒋介石は優位に立ち、新しい中華民国の再建と経済発展が期待できる綱領を制定した。
毛沢東は中国北部の延安(訳注:原文ではYunnanとなっているが、中国南西部の雲南省ではなく、毛沢東が拠点としていた陝西省延安Yan’anのことかと思われる)に隠れ、中国の情勢にとっての重要な要因だとは最早みなされなくなった。しかしここで、中国と世界の歴史にとっての転機が訪れる。1937年に日本が中国に攻め入り、日中戦争が始まったのだ。蒋介石と毛沢東は共通の敵に立ち向かうため、やむなく手を組んだ。

続く8年もの間、国民党軍は推定2百万人の犠牲者を出しながら日本軍の侵略に対して矢面に立った(日本軍側も百万人もの犠牲者が出た)。共産党軍も戦ったが、それは主にゲリラ戦、もしくは小規模の敵軍と対面した場合だけであった。

日本側は数回にわたって蒋介石に停戦をもちかけたが、彼は自らの“広い国土を利用した時間稼ぎ”戦略が最終的に日本側を消耗させるであろうと読み、そのすべてを拒絶した。

毛沢東の戦略は十年後に公開された秘密指令の中で明らかになった。「中日戦争はわが党の拡大のためのすばらしい契機となった。我々の政策は、70パーセントを党の拡大、20パーセントを対国民党、そして残り10パーセントを抗日にあてるべきだ」

1945年8月の日本の無条件降伏にともない、共産党は休戦状態にあった内戦を再開した。当初は、1943年11月のカイロ会談でルーズベルト大統領が蒋介石に確約したとおり、国民党を応援するというのがアメリカの政策だった。しかし、中国在住の共産主義を支持するアメリカの外交官たちが国共合作を擁護するようになった。彼らは毛沢東とその仲間が単に“農地改革者”にすぎないと、ワシントンを安心させた。
この危機的な時期に、ソ連は満州占領時に日本軍から押収した大量の武器弾薬を中国共産党に提供していた。

対照的に、(国共)連立政権の設立をめざして、ワシントンは国民党軍へのアメリカ製の武器の輸出を止めた。蒋介石が中国共産党との連合を拒否したことを不満に思ったトルーマン大統領は、中国に対する不干渉政策を発表、それがほぼ結果的に国民党軍の敗北を決定した。
1947年から1948年にかけ、中国じゅうの町という町が次々に共産党の手に落ち、最終的に1949年10月1日(今から66年より少し前)、毛沢東は中華人民共和国の設立を宣言した。蒋介石はすでに大陸を離れ、亡命政府を作るために台湾に逃れていた。

米国務省は“中国を失ったこと”についてのいかなる責任も否定するが、ジャッド博士と他数名はその見解には反対だ。彼は、中国を共産主義者に渡したことについて、アメリカが決定的な役割を果たしたと指摘する。第一に、カイロで国民党に満州の管理を任せる旨を約束したにもかかわらず、ヤルタ会談においてソ連に満州を実効支配させたことによって。そして第二に、内戦の危機的状況下において国民党軍から抵抗手段を奪うこととなった1946‐47年の武器禁輸によって。
数年後、第二次大戦中に中国で兵役についていた著名なコラムニストであるジョセフ・アルソップが、毛沢東派のアメリカ外交官の累計的な影響について、このようにまとめた。
「中国における致命的な数年の間、中国にいるアメリカの代表者たちは積極的に中国共産党を支持した。彼らはまた、政治的にも軍事的にも、国民党の弱体化に貢献した。そして最終的に彼らは、共産党が勝利宣言をするより4年以上も前に、中国を共産主義者の手に、まるで大皿に縛り付けられた鳥のように渡すところまで持っていった」

ジャッド博士その他がよくわかっていたとおり、その“勝利宣言”の影響は甚大で、そして長く続くことになる。「共産主義者による中国の支配はアジア全土にとっての致命的な危機だ」とジャッド博士は警告した。まず朝鮮戦争、そしてベトナム戦争(そのどちらにおいても中国共産主義が重要な支援役となった)が、彼の警告が正しかったことを証明した。
結論として、中国共産主義の歴史は中国共産党の歴史であり、彼らが現代中国のすべての重要な出来事(百花斉放百家争鳴、大躍進政策、文化大革命、天安門広場での虐殺など)の中心だった。これらのどの悲劇も、中国共産党の是認と指導がなければ起こらなかった。

8800万人の党員を擁する中国共産党は、学校から工場、田舎から沿岸都市部、株式市場から人民解放軍、労働改造所から人民日報まで、中国人の生活のありとあらゆる場面に関与している。

毛沢東は言った。「政治力は銃身から育つ」と。中国でその銃を持っているのは共産党だ。

(翻訳 :浅岡寧)

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