【英国レポート第6弾② 英EU離脱のウラ事情】EAD密約の呪縛からの解放を突いた寄稿記事(全文紹介)

上記写真は英外務・連邦省提供。1月初めの「ホロコースト・メモリアル・デー(HMD)」の記念式典で。(英国のパレスチナ委任統治領へのユダヤ人移民の流入を抑えることなどを明記した)1939年の年次報告白書は「道徳的な誤ちだった」と表明したジェレミー・ハント英外務相


英国現地より、当サイト独自レポート第6弾の②

第6弾の①はこちら

Post by   Eshet Chayil ーONTiB Contributor 2019/04/11  21:57JST  update 2019/04/12 21:37JST update 2019/04/26 22:46


オイル価格安定の代償?中東で唯一の民主主義国家を痛めつける「アンホーリー・アライアンス(EUとアラブ連盟の密約という邪悪な同盟)」から私たちを解放するブレグジット。

Heart】ヒュー・キットソン著

欧州連合(EU)を離脱しようとする我が国の試みは、英議会に未曾有の混乱をもたらしました。

 3月までの8ヶ月間でメイ保守党政権からは閣僚数人が辞任したうえ、2大政党である保守と労働から併せて11人の議員が離反、「ザ・インディペンデント・グループ(TIG)」を形成しました。通称は、新しい政党グループのTIGと「Tigers(虎の複数形) 」を併せた「TIGers」。(労働党内にくすぶる)反ユダヤの差別主義や、ブレグジットに反対という立場をとっています。

 法廷離脱日だった3月29日を目前に英議会が急展開した数週間は、メイ政権内に存在する深い亀裂を露呈したばかりか、英議会そのものが制御不全に陥りました。議員の多くが「名だけのEU離脱(訳注:英国をEUの関税同盟や欧州司法裁判所の管轄下などに留めおき、発言権や拒否権は失くす一方で、EU法は新法も含めて服従するというもの。別名ソフトブレグジット)」になるよう注力する傍で、離脱そのものを全面的に阻止しようと動いた議員もいました。

 私たちは英議会の大混乱を見せつけられたわけですが、この現象には、(中東で唯一の民主国家である)イスラエルという国に対する英国の外交姿勢との深い相関関係があるのでは、という疑問を沸き立たせます。

 我が国・英国を、その歴史上で、神が、聖書の示す祖国の地にユダヤ民族の国家を再建できるようにするために用いたことは紛れも無い事実です。

 私がオーストラリアの友人ケルビン・クロムビーと共同で「英国の使命(ザ・デスティニー・オブ・ブリテン)」というドキュメンタリー映画を制作してからすでに10年以上がたちました。映画で掲げた論説は、人類救済という壮大な神のご計画において、当時の大英帝国(オーストラリアやニュージーランドを含む)が果たした使命とは、ユダヤ民族にイスラエル帰還を促す「キュロス国家」になる、ということです。

訳注:聖書が示す壮大な叙事詩の一環として、エルサレムの第2神殿崩壊後、2000年に渡り世界各地に離散していたユダヤ民族は終末のときにイスラエルの地に再び呼び戻されるという聖書解釈がある。「キュロス国家」という表現は、紀元前500年代のペルシャ王キュロスが統治下に納めていたペルシャ帝国や新バビロニア帝国内に離散していたユダヤ民族に対し、イスラエルの地への帰還・第2神殿建設を許したという旧約聖書中の記録や史実に基づいたもの。大英博物館が所蔵するキュロスの円筒印章は、聖書が記す史実性を裏付けるとして名高い。

 霊的な意味では、1917年のバルフォア宣言は、大英帝国が神の召しに応えた結果であると言えるのです。



ブレグジットと「イスラエル・パレスチナの2国家共存」という政策の相関関係

 「英国の中東政策とブレグジットに相関関係なんぞあるのか?」と、思われる方もいるかもしれません。

 奇妙なことに、霊的なつながりは深いのです。英国は国として実は、すでに神の裁きを受けていると私は見ています。英国は(バルフォア宣言に続く、1920年のサン・レモ会議で定められた)パレスチナの委任統治で課せられた責任や権限を、ほぼすべての段階において反故にして、放棄しました。憂うべきは、(1948年5月14日のイスラエル独立宣言による)イスラエル再建は、とどのつまり、英国が課された使命を果たさなかったにも関わらず、成就したという点です。

 簡単に歴史を振り返ってみましょう。国際連合総会は1947年11月、パレスチナ分割決議案を採決しました。(訳注:分割決議案は英国の委任統治に終止符を打ち、ユダヤ人とアラブ人国家を創出するという、いわば「2国家共存」案の原型)。オーストラリが賛成票を投じた最初の国となった一方で、英国は棄権。アラブ諸国の指導者はこぞって、2国家共存を拒絶しました(ユダヤ人指導者は総じて賛成)。

 採決結果は賛成33カ国、反対13カ国。ユダヤ民族にとって古代から所縁のある同地域での自決権を確立する上での法的根拠となり、イスラエル建国に弾みを付けたのです。(訳注:採決結果が明らかになると、アラブ人とユダヤ人の間での武力紛争がぼっ興、ユダヤ人側は英委任統治が時効となる時を制して独立宣言を行った。第一次中東戦争と呼ばれる戦争は、1949年1月の休戦協定まで続いた)。

 この第一次中東戦争の際、ヨルダンのハシェミット王国は、国連の分割案では第二のアラブ人国家「パレスチナ」となるはずの領土の大半を、英国の支援を受けて不法占領したのです。第二のアラブ人国家と言うのは、第一のアラブ人国家がすでに形成されているからで、英委任統治領パレスチナにおいて、英国がユダヤ人移民の受け入れを禁じていた(1922年には国際連盟が承認)領域、つまりヨルダン川東部に広がる広大な(委任統治領の実に約8割にあたる)領土のことを指します。この領土を持つ、第一のアラブ人国家として「トランスヨルダン王国」が1946年に独立(1950年にハシェミット王国と改名)したのです。

 ヨルダンによる、エルサレムの旧市街(東エルサレム)やユダ・サマリヤ(西岸地域)の領土の武力押収は、英国のパレスチナの委任統治を定めた1922年の原則に違反するほか、(武力による威嚇や武力行使を禁じた)国連憲章の第2条にも違反します。(イスラエル建国を認めないアラブ諸国との間で)イスラエルは第一次中東戦争の後も25年間に渡り、一連の自衛戦争を余儀なくされました。1967年にはついに、1948年からヨルダンが不法占領してきた領土や、さらにシナイ半島を制圧したのです。その後も1973年に再び、ユダヤ人国家のせん滅を図るエジプトとシリアがイスラエルに攻撃を仕掛けましたが、苦戦の後にイスラエルが勝利を収めました。

訳注:ユダヤ教のなかで最も神聖とされる贖いの日『ヨム・キプール』を狙って仕掛けられたため、ヨム・キプール戦争、あるいは第四次中東戦争と呼ばれる

 ユダヤ人国家全滅を図るアラブ諸国の戦略が変わったのは、この時点からです。軍事的な撲滅ではなく、西側諸国を政治的に使い始めたのです。特に国連や欧州諸国を政治的に活用することで、ユダヤ人国家として存在することの法的根拠に難癖を付ける手法への転換です。



アンホーリー・アライアンス(EUとアラブ諸国の邪悪な同盟関係)

1973年のヨム・キプール戦争の最中、(イスラエルを支持する西側諸国への制裁として)アラブ連盟の加盟国でもあった石油輸出機構( OPEC) 諸国は、石油禁輸措置を課しました。西側諸国を「石油樽の上に貼りつけた」のです。

 折しも英国が参加の準備を進めていた、EUの前身である欧州経済共同体(EEC)は、彼らの主たる標的の一つであり、その結果は、壊滅的なものでした。 英国に当時住んでいた人々なら誰しも、燃料節約策の「週3日間労働」や、毎時50マイルの一斉速度制限を覚えているでしょう。

 OPECによる石油輸出解禁を図ることは欧州諸国にとっては政治上の死活問題であり、アラブ諸国の政治課題に対しての降伏を意味しました。

 すでに親アラブ政策を取っていたフランスの先導で、公式な欧州アラブ会議(EAD)が設置され、1970年代から1980年代にかけて、中東に関するEEC共通の外交政策の枠組みが確立されていったのです。

 原産国であるアラブ諸国と良好な経済関係を保ちたい現在のEU加盟国はすべて、当然ながら、この欧州共通の外交政策に準じることが義務付けられています。

 欧州諸国はこれにより、それがたとえユダヤ人国家の終焉を意味したとしても、「東エルサレム」を首都にしたパレスチナのアラブ人国家を造るべきであるという外交上の基本姿勢を固めたのです。

 偽りの入った政治的決定(deceptive dogma)は、今や国連から大手の国際メディアに至るまで、米国を除いて、完全に受け入れられています。

左写真:ワリード・アブルヒア
サウジアラビアの人権弁護士、現在15年の刑に服す。 同氏の事件は、西側諸国のメディアで報道されていない多くの事件の1つである 。

今日にも続く欧州アラブ会議(EAD

風刺画の説明:ハマス戦闘員が民間人を「人間の盾」として利用していることを描いたパレスチナの風刺画

 最も最近行われたアラブ連盟諸国とEU加盟国間の会議(EAD)は、エジプトの観光地シャム・エル・シークで2月24日と25日に開催されました。 テレーサ・メイ英首相が出席したほか、ドナルド・トゥスク欧州理事会議長や、ほかのEU加盟国の指導者が勢ぞろいしました。

 共同コミュニケの第7項目 (一部抜粋)はこう言明しています。「我々は、中東和平プロセスにおける我々の共通認識を再確認した。エルサレムの地位や、イスラエル占領下にあるパレスチナ人領土へのイスラエルによる入植がいかに国際法に違法しているかという点などを含む…」と。

 これには、(ナチス・ドイツ時代に国民啓蒙・宣伝大臣を務めた)ヨーゼフ・ゲッベルスの悪名高き語録を思い出さずには入られません。「嘘も繰り返し聞かされれば、人々はそれを信じる」ーー。

 このコミュニケには3つの虚偽があると言えます。

 第1は、(1948ー67年の間、ヨルダンが違法占拠していた)ユダとサマリア地方のすべての領土について、イスラエルは主権を主張できる確固とした根拠を持っており、入植は国際法に照らし合わせても違法ではないという点です。

 第2は、「武力紛争法(現・国際人道法)」の自衛権行使の観点から見れば、言及されている領土は、占領地域(Belligerent Occupation)には当たりません。従って、ジュネーブ条約第四条約第49条 (6) が禁じる占領地域への移送も適用外のものなのです。

 第3は、1993年のオスロ合意やその後の協定で明文化されたイスラエルとアラブ人国家との関係正常化には至っておらず、関係する領土が「パレスチナのアラブ人」に帰属すると定めた国際法に則した拘束力のある協定は存在しません。(訳注:オスロ合意の一環でイスラエルがガザ地区から完全撤退した2005年以降、同地区は国際テロ組織ハマスが制圧、イスラエルは同地区からのロケット砲や攻撃用トンネルを通した無差別テロによる被害を絶えず受けている)。

 しかし、最も包括的な偽りと言えるのは、EUの政策に過ぎない、これらの点を、「国際法」にすり替えてしまったことでしょう。 それはEUの中東政策というだけ過ぎす、国際法などではないにも関わらず、です。


 国連(UN)や大手の国際メディアはイスラエルーパレスチナ問題に対し、同様の虚偽を使っています。この点については最新作のドキュメンタリー映画「誰の土地?」で詳しく取り上げています。

 

上写真:民間監視機関UNウォッチの軍事・法律専門家パネルの一員として、UNにおける「反イスラエル」偏向と戦うリチャード・ケンプ元英陸軍大佐(中央)。写真は、ガザ国境の防衛にあたるイスラエル国防軍(IDF)兵士が戦争犯罪を犯していると非難する国連報告書を却下するため、UNウォッチがジュネーブで3月18日に開いた記者会見の模様。外交官や加盟国に対し、報告書はハマスによるガザ地域の民間人虐待を勢い付かせるだけであると警鐘を鳴らした。

英国の使命(ザ・デスティニー・オブ・ブリテン)

 2016年6月に行われた英国民投票の約半年前、旧知の大親友であるデビッド・ノークス氏は、神の「み告げ」を受けました。神がEUに裁きを下す時は近いというものでした。奇しくも、EU離脱の是非を巡る一大政治キャンペーンの最中。 イザヤ書60章12節が示唆的であると私は見ています。「あなたがた(イスラエル)に仕えることのできない国と王国は滅び、それらの国々は完全に滅ぼされるであろう」。つまりEU離脱は英国とって是が非でもなさねばならない。

 この寄稿文の執筆時点においてEUの完全な加盟国である英国。1973年のヨム・キプール戦争を背景にしたEADの設立、EADを通して形成された中東外交政策の枠組みのなかに、今も閉じ込められた状態にあります。つまり、英国は欧州諸国と共同で、イスラエルに対し、(1949年の休戦協定で結ばれた境界線「グリーンライン」という)防衛不可能な国境線で、敵対的なパレスチナのアラブ人国家との「(不可能な)共存」を飲むようにと迫っているのです。

 旧約聖書中のゼカリヤ書は終末の時に神の敵がエルサレムを包囲すると預言しています。EUが設立を急ぐ近未来のEU軍がイスラエル侵攻を決めたら、どうなるか想像できますか?

 もしも、英国が、委任統治で課された当時の責任を放棄してしまったことや、(バルフォア宣言で交わした)ユダヤ人への約束を反故にしたことを悔い改める機会が与えられ、神が私たち国家に与えた召しである「キュロスの役割」に再び応えるというのであれば、我が国はEUとの間にある全ての政治的、霊的な関係を一切断ち切る必要があります。英国は今「アンホーリー・アライアンス」の内側にあり、私たちはそこから出る必要があります。今はまさに、その瀬戸際にあるのです。

 これは、英国が挑まれた霊的な戦いなのです。ですから、様々な噂やニュースを聞いたり、見たりするなかでも、主を待ち望み、主に勝利をより頼み続けようではありませんか。

写真:パレスチナのアラブ人少年。
ガザ地区の貧困と失業に抗議する3月の民間人デモで、ハマス戦闘員に傷つけられた。パレスチナ自治政府が、公式のツイッターサイト「 @Fateh1965」に死傷者の写真を掲載したことが物議を醸した

 闇の中に差す一条の光

 イスラエルに対する英政府の態度には、ここ数週間で希望の兆しが差してきたようです。イヴァン・ルイス元英労働党議員によると、(英議会が大混乱を呈した)この3月は実に、「信じられないほど、英政府はイスラエルに対し、補佐的であった」と言います。

 外務・連邦省で開かれた今年1月のホロコースト・メモリアル・デー(HMD)記念式典。マーク・レゲブ駐英イスラエル大使は「(英国がパレスチナ委任統治における責務を放棄する前の)1938年にイスラエル再建ができていたら、戦後の1948年までずれ込まなければ、それはそれは多くのユダヤ人がホロコーストを逃れて生き延びることができたでしょう」と言及した時のことです。ジェレミー・ハント外務相はレゲブ大使による、この耳の痛い指摘を真摯に受け止め、1939年に英年次報告書白書が定めた方針は道徳的な誤ちであったと認めたのです。

 ハント外相はさらに、「あれは、我が国の歴史において最も暗黒な時でした」と続けました。私の知る限りでは、英国の外相が(歴史上の罪を)認める発言をしたのは初めてのことです。

左写真:ユダヤ教ラビのアキアッド・エッティンガー氏。
子供12人の父親である同氏は3月、無差別テロで命を奪われました。殺人犯の家族には、その懲役刑の長さに応じた報酬がパレスチナ自治政府によって支払われるのです。 (ナダヴ・ゴールドスタイン・TPS提供) 

 希望の兆しは他にもあります。英国がEU離脱後の貿易協定を最初に結んだ相手はイスラエルでした。さらに、英政府は、ヒズボラの組織はすべて国際テロ組織であるとついに認定したことです。これにより、英国内でヒズボラの活動を代表したり代弁すること、金融取引の代行はすべて違法になったのです。

 私たちは、これらの「(英国が国として歴史的な罪を悔い改めるという)兆し」を、神に感謝します。また、こうした(悔い改めの)動きが拡大し、「アンホーリー・アライアンス」から英国が解き放たれるように祈り続けます。


(海外ニュース翻訳情報局 えせとかいる)

第6弾の③に続く

第6弾の①はこちら

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